カネオくんが向かったのは都内のうなぎ専門店。中野廣美さんはこの道48年の鰻職人。うなぎの蒲焼、知られざる職人技その1は「裂き」。まずはうなぎを氷水につけ動きを鈍くする。背中から包丁を入れ一気に開き肝を外し骨だけを外し、ヒレをとったら完成。中野さんは60秒で1匹をさばいた。このスピードでさばけるようになるには8年かかると言われている。知られざる職人技その2は「焼き」。串打ちした鰻は一度素焼きし、蒸し器を使って蒸していく。その後、タレを付けて焼いていく。うちわで仰ぐことで熱が分散し均等に焼けるようになる。ご飯の上に、鰻を乗せたらうな重の完成。うな重の並、上、特上は量が違うだけで鰻は変わらない。
関東と関西では作り方が違う。関西は鰻を蒸さずに直接火にかけじっくり焼く。蒸さないので外はパリッ中はフワッとなっている。さらに関西は腹からさばいていく。関西は商人の街だから、腹を割って話したほうが良いということで腹開きになった。江戸は武士が多く住んでいて、切腹を連想させ縁起が悪いということで背開きが好まれたという話しがある。江戸時代、関東の鰻は川魚特有のニオイが強いものが多かった。そのために下処理として蒸す工程を入れるようになったと言われている。さらに忙しい江戸の人たちのため仕上げの焼き時間を短縮させるためという理由もあった。
大阪では高齢者の人がうなぎを「まむし」と呼んでいた。まむしは、ご飯の間に、鰻が入っている。江戸時代、大阪ではうな丼は、鰻をご飯の間に挟んだモノが主流だった。ごはんの間にうなぎを挟んで蒸していたことから「まむし」となった。うなぎをごはんに「まぶす」が変化し「まむし」となったなど由来はいくつかある。
関東と関西では作り方が違う。関西は鰻を蒸さずに直接火にかけじっくり焼く。蒸さないので外はパリッ中はフワッとなっている。さらに関西は腹からさばいていく。関西は商人の街だから、腹を割って話したほうが良いということで腹開きになった。江戸は武士が多く住んでいて、切腹を連想させ縁起が悪いということで背開きが好まれたという話しがある。江戸時代、関東の鰻は川魚特有のニオイが強いものが多かった。そのために下処理として蒸す工程を入れるようになったと言われている。さらに忙しい江戸の人たちのため仕上げの焼き時間を短縮させるためという理由もあった。
大阪では高齢者の人がうなぎを「まむし」と呼んでいた。まむしは、ご飯の間に、鰻が入っている。江戸時代、大阪ではうな丼は、鰻をご飯の間に挟んだモノが主流だった。ごはんの間にうなぎを挟んで蒸していたことから「まむし」となった。うなぎをごはんに「まぶす」が変化し「まむし」となったなど由来はいくつかある。