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「東京都」 のテレビ露出情報

東京・国立市にあるNHK学園高等学校を訪問。普通の授業のように見えるが実は月一度の登校日。こちらの学校は自宅学習中心の通信制高校。1人の生徒に出会った。3年生のオモルイ・ディバインデスティニーさん。通信制高校に通う理由は様々だが、彼は家庭の事情で全日制ではなく通信制を選んだ。生徒数は全国に約3000人。自宅学習・投稿日の出席・定期試験もあり単位修得し卒業しれば高卒の資格が得られる。彼がこの学校を選んだもうひとつの理由。それは部活動。ここは部活動も盛んで33の部がある。中でも陸上部は全国大会優勝の実績がある。オモルイさんは短距離走の選手。400m走では去年の全国大会で2位という実力。長い足腰を生かした加速力が武器。父はナイジェリア人で母が日本人。子供の頃のかけっこ教室がきっかけで陸上の道へ。この学校を選んだのも陸上の実績あればこそ。部の練習は週2回。いまは部長。
ここに自分の居場所を見付けた生徒も。3年生の青木幸香さん。いつも笑顔を絶やさないムードメーカー。中学ではバレー部だったが、周囲との関係に悩み部活動に参加できなくなり、やがて不登校になった。高校に進んでも続かず、自分の居場所を見つけられない日々、そんなときにこの学校に出会った。青木さんは100m走の選手。青木さんは努力家。陸上部の目標は毎年8月に開催される「全国高等学校 定時制通信制 陸上競技大会」。
東京都代表選手選考会当日が来た。ここで勝ち抜けば東京代表になり、全国大会へ出場できる。NHK学園からは9人が出場。青木さんは100mに出場。他を寄せ付けない走りで東京代表入り。続いて部長のオモルイさんの出番。400mハードルでは圧巻の走りで大会新記録。さらに400mでも大会新記録。記録更新は50年ぶりの快挙。3年生の2人にはこれが最後の全国大会。大会まであと2週間、追い込みの練習に入っていた。この夏が全て、ひたすら走り込んだ。オモルイさんは「3年の青春をすごした場所。良い結果で笑って終わりたい」などコメント。青木さんは「落ち込んだときもあったけど、そのときがあったから今ここにいると思うのでやるしかない」などコメント。
全国大会当日。全国42都道府県から859人が出場。定時制・通信制の日本一を決める戦い。競技が開始。ところが、その時スタンドには松葉杖をついたオモルイさんの姿が。前日の練習で全治3か月のけがをしてしまったという。無念のリタイアとなった。ここまで頑張ったのに、こらえきれない思いがある。だが、みんなのためにできることをやろうと決めた。オモルイさん先頭に立って仲間を応援。青木さんはその思いを受けた。100m決勝。結果は優勝。見事夢を果たした。そして、オモルイさんの下へ行き感謝の言葉を伝えた。オモルイさんは「最後に作れた雰囲気っていうのは青春というか、全日制の高校に行ってもできない経験。将来生かせたら」などコメント。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年3月11日放送 23:00 - 0:09 日本テレビ
news zero(ニュース)
きょう藤井キャスターは福島・双葉町の飲食店を訪ねた。オーナーの中野さんは普段はいわき市で焼き肉店を営んでいるが、「双葉町に人が集まれる場所を増やしたい」という思いで週に1回双葉町でランチ営業をしている。中野さんは15年前は東電社員として福島第一原発で働いていたが、震災の1年半後に退職。双葉町では原発事故の影響で避難指示が出され、多くの住民が避難を余儀なくされ[…続きを読む]

2026年3月11日放送 22:57 - 23:56 TBS
news23sports23
WTTチャンピオンズ男子シングルス。宇田幸矢はO.アサルと対戦し、3対1で勝利。2回戦の相手は張本智和。

2026年3月11日放送 20:00 - 20:45 NHK総合
激突メシあがれ〜自作グルメ頂上決戦〜サバ缶 大変身スペシャル
「サバ缶が大変身!今夜のごちそうメニュー」をテーマに3人が対決。1人前の食材費1000円以内で作らなければならない。出場者1人目は、鹿児島で栄養士を目指して勉強中の短大生・市来美早さん(19)。市来さんはサバはスイーツで食べるのが一番美味しいと言い切った。出場者2人目は、神奈川のIT企業に務める市橋秀介さん(46)。市橋さんは今回のためにサバ缶20種類を食べ[…続きを読む]

2026年3月11日放送 19:00 - 21:58 TBS
この歌詞が刺さった「グッとフレーズ」卒業シーズンに聴きたい名歌詞ランキング
緑黄色社会の「恥ずかしいか青春は」の歌詞を紹介。長屋晴子は「限定された時間だからこそ素敵なものがあった」などと話した。

2026年3月11日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
奇跡体験!アンビリバボー極限の決断が生む奇跡
乗船オーバーを理由に日本政府からは帰国を許されなかった。とは言え支援を打ち出していた政府としても最終的な受け入れを拒むことは出来ない。施設不足などの問題ですぐには受け入れができなかったため、日本政府はフィリピン政府と協議し一時的に保護してもらうことに。宮城船長たちは急遽、首都マニラの港に向かうことになった。船には限られた食料しかなかったが、宮城船長は城瀬人と[…続きを読む]

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