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「東日本大震災」 のテレビ露出情報

釜石市の人口は約3万人、漁業が盛んな港町。市内33店舗の飲食店からなる釜石ラーメンのれん会。副会長を務める紺野さんは釜石ラーメンの特徴を聞いた。スープは透き通ったしょうゆ味。紺野さんの店では豚骨や煮干し系で煮立たせずに90度前後の火にかけ、琥珀色のスープを作っている。麺は極細。
釜石ラーメンのスタイルを作ったの中国料理店の創業は1951年。初代の西条暢士さんが釜石で初めてラーメンを提供。現在は息子で2代目の優度さんが暖簾を守っている。釜石ラーメンを象徴する極細麺だが、開店当時は太麺だったという。優度さんの母が「そうめんみたいに細くできないの?」と言ったことから極細麺が生まれた。暢士さんは27歳の頃に好景気に沸く釜石の噂を聞き仙台から移り住んだ。優度さんは初めて見た釜石の光景を今も鮮明に覚えているという。当時、釜石は“鉄のまち”として栄え、製鉄所の煙突が何本もそびえ立っていた。
60年以上続くお店の主人・菊池さんは当時の活気を「すごくにぎやかで、ひとでひとで歩かれねえ」と話した。全国から働きに来る労働者に楽しみの一つが当時まだ珍しかったラーメンだった。ラーメン店主の紺野さんも元は製鉄所で働いていた。釜石にラーメンを出す店が少しずつ増えていき、紺野さんも29歳の頃にラーメン屋台を始めた。しかし、釜石の景気は長くは続かず、1970年代中頃から鉄鋼業界は低迷。製鉄所の高炉は解体され規模が縮小され、労働者も徐々に減っていった。
釜石商工会議所は衰退する町を盛り上げようと釜石ラーメンのれん会の準備を進めていた。マップが完成し、プレス発表を目前に控えて店主たちが集まったのが2011年3月10日の夜。翌日に津波が起きた。西条さんの店は1階がすべて水没。マップに載る43店舗中25店舗が津波の被害にあった。最も被害が大きかったエリアが鵜住居では全店舗が流され、うち2店舗では店主が亡くなった。震災から程なくして西条さんは店先のがれきの中で暖簾を見つけ、釜石ラーメンを作り出した父を思い出した。11月に釜石ラーメンのれん会は西条さんの元、23店舗で再出発を決意。震災から9か月、西条さんの店は復活した。紺野さんのラーメン店は友人からの誘いで3年前に鵜住居に移転してきた。震災から13年、最新のラーメンマップには33店舗が記されている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月18日放送 12:00 - 12:10 NHK総合
ニュース(ニュース)
気仙沼市で気仙沼「海の市」サンマまつりが行われた。東日本大震災の津波で全壊した施設で、2014年に再建以降恒例になった。ことしは水揚げ量の回復などを受け6年ぶりに開催。

2025年10月17日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!ZIP!ALL TOPICS
きのう午後5時すぎ、岩手・山田町の自宅に帰った山根捺星さんの遺骨。震災で行方不明となり14年半ぶりの帰宅となった。2011年3月に起きた東日本大震災。当時6歳だった捺星さんは岩手・山田町の自宅で祖母といたところ津波に巻き込まれ行方不明となった。遺骨が見つかったのはおととしのこと。DNA型鑑定などをすすめた結果、下あごの骨の一部と数本の歯が捺星さんのものと判明[…続きを読む]

2025年10月16日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタ(ニュース)
おととし宮城県南三陸町で見つかった人の骨の一部は東日本大震災で行方不明となっていた当時6歳の女の子のものとわかり、きょう家族のもとに引き渡された。山根捺星さんは岩手県の自宅で津波に襲われ行方不明になっていた。山田町では143人が行方不明となっている。

2025年10月16日放送 15:42 - 19:00 フジテレビ
イット!木村拓也のソナエちょい先
東京都港区にある六本木ヒルズから木村拓也による中継。木村拓也は「M7.3の地震が発生した場合、帰宅困難者は531372になるそうだ。ビルに逃げ込む時代になっている。最大で5000人がここに入れる。地下に備蓄倉庫がある。食料や水が備えられていて、約10万食が用意されている。生理用品等も備蓄されている。ハンドリフトも備えられている。」等とコメントした。
六本木[…続きを読む]

2025年10月15日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
東日本大震災で16人が犠牲になった千葉県旭市で当時の経験を語り継ぐ地元のグループが防災教室を開いた。

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