明るいキャラクターと軽快なトークで俳句の魅力を楽しく伝える夏井いつきさん。どうしても見たいのがミュンヘンオリンピックの男子バレーボール・準決勝。夏井さんは「高校1年生ぐらいだったと思うけど。姉妹でキャーキャー言いながら見てた」などコメント。
1972年ミュンヘンオリンピック。日本男子バレーは前々回の東京オリンピックで銅メダル、前回のメキシコシティオリンピックで銀メダル。この大会は金メダルの最有力候補として乗り込んだ。迎えた準決勝。相手は格下のブルガリア。誰もが勝利を確信したその試合は大変な展開となった。当時は1セット15ポイント、3セット先取で勝利。サーブ権があるときのみ得点となるルールだった。日本は第1セット、第2セットを奪われ、後がなくなった。その日本は第3セットに東京オリンピックでエースアタッカーをつとめた南将之選手を投入。病気での休養もありスタメンからは外れたもののレシーブ練習に励み、貢献できるよう備えていた。この時監督をつとめた松平康隆さんは後に「南にとってはやっと出番が来たという感じだったのだろう。負けそうになったときにだけ必要な選手。勝ってる試合にはいらない選手。それがお前の最後のオリンピックだということをメキシコシティのあとに言い続けていた。本人もその気で練習していた」などコメントしている。そこから日本は2セットを取り返し、試合は振り出しへ。そして迎えた運命の最終セットは日本が順調に得点を重ね勝利。そして翌日行われた東ドイツとの決勝戦でも見事勝利し、日本は金メダルを獲得した。夏井さんは「京都女子大学でバレーボール部に再び入った(中学3年生以来)がきっかけはミュンヘンオリンピックの準決勝」などコメント。
1972年ミュンヘンオリンピック。日本男子バレーは前々回の東京オリンピックで銅メダル、前回のメキシコシティオリンピックで銀メダル。この大会は金メダルの最有力候補として乗り込んだ。迎えた準決勝。相手は格下のブルガリア。誰もが勝利を確信したその試合は大変な展開となった。当時は1セット15ポイント、3セット先取で勝利。サーブ権があるときのみ得点となるルールだった。日本は第1セット、第2セットを奪われ、後がなくなった。その日本は第3セットに東京オリンピックでエースアタッカーをつとめた南将之選手を投入。病気での休養もありスタメンからは外れたもののレシーブ練習に励み、貢献できるよう備えていた。この時監督をつとめた松平康隆さんは後に「南にとってはやっと出番が来たという感じだったのだろう。負けそうになったときにだけ必要な選手。勝ってる試合にはいらない選手。それがお前の最後のオリンピックだということをメキシコシティのあとに言い続けていた。本人もその気で練習していた」などコメントしている。そこから日本は2セットを取り返し、試合は振り出しへ。そして迎えた運命の最終セットは日本が順調に得点を重ね勝利。そして翌日行われた東ドイツとの決勝戦でも見事勝利し、日本は金メダルを獲得した。夏井さんは「京都女子大学でバレーボール部に再び入った(中学3年生以来)がきっかけはミュンヘンオリンピックの準決勝」などコメント。
