金井東裏遺跡からは鉄の鎧を着たまま亡くなった武人と3頭の馬の骨が見つかった。ヤマト王権は史上初めて日本列島の広大な地域を手中に収め、広域政権を樹立した。それを示すのがヤマト王権のシンボルである前方後円墳。前方後円墳は各地に広がり、地方の有力豪族が支配体制に組み込まれネットワークが築かれた。馬は移動手段としても用いられ、日本列島を結ぶインフラとなっていった。ヤマト王権は海外からの技術を改良し、国内の統一に生かしていった。富雄丸山古墳では2月、木製の棺の発掘調査が行われ新たな副葬品の青銅鏡などが見つかった。葬られたのはどんな人物だったのか、新たな古代史の謎が生まれた。6世紀なかばには朝鮮半島から仏教が訪れた。新たな知識が日本に広まり寺院が誕生すると前方後円墳は姿を消した。