ラミレスの打撃の秘密は捕手の研究。対戦した捕手は手の内を見透かされて打たれていた。矢野燿大は、ラミレスは嫌な選手、僕と勝負している感じがあった、どんなボールが来るのかを予想して確率を高めていたと話した。矢野が今でも悔しくてしかたない試合は2003年6月7日のヤクルト阪神戦。投手は下柳剛。0-0のまま6回裏になり、ランナー1塁でラミレスを迎えた。2ストライクをと追い込み、矢野はラミレスがアウトコースの変化球で来ると考えていると読んだ。三振を狙インコースストレートを指示したが、完璧に打たれてしまった。現在横浜一軍コーチの相川亮二は、ラミレスはわざと空振りするくらいの駆け引きをする打者だった、わざと空振りしたのかも駆け引きの要素にしていた、ラミレスを混乱させるためにセオリーを無視した配球をしていたが最後には打たれてしまうと話した。元広島の倉義和が悔しくて眠れなかった試合は、2006年10月7日のヤクルト広島戦。ラミレスに投げたスライダーはキャッチャーフライになったが、倉はミスで捕ることができなかった。しかしその時倉はラミレスにスライダーは打てないと考え、もう1球スライダーで勝負した結果、ホームランを打たれた。小田幸平は、対戦する中でラミレスが一番嫌なバッターだった、初球はどんな球でも打たなかった、年に2回くらい打つのでその2回が怖かった、あの人の良さは対戦した人しかわからないと話した。