- 出演者
- 土屋礼央 吉岡真央 アレックス・ラミレス
オープニング映像。
ゲストはアレックス・ラミレス。外国人選手として唯一名球会に入り、外国人初の2000本安打を達成した。2001年に来日し13年間プレーし、8年連続100打点を達成した。当時の目撃者の証言からラミレスを浮き彫りにする。
ヤクルト、巨人、DeNAで活躍したラミレスは、首位打者、本塁打王など輝かしい成績を残した。中でも8年連続100打点は王貞治を超え歴代1位。ラミレスは毎シーズン100打点の目標を立てて実行していた。ラミレスはホームランの量産を期待されて来日。メジャーでは実力を発揮できないと感じ、家のローン返済のため軽い気持ちで日本に来たが、開幕直後は凡退が続き、1か月の打率は.207だった。元中日の野口茂樹は、1年目は全く打たれなかった記録があると話した。変化球を駆使する日本人投手相手にボール球に手を出していた。ラミレスの元個人マネージャーの亀田正恭は、ワンバウンドのティーバッティングを目撃していた。ワンバウンドさせた球を変化球に見立てて、引きつけて打つ練習をしていた、その結果打率は.322となり、その後も好成績を残しヤクルトの日本一に貢献した。ペタジーニが巨人に移籍すると4番の後釜としてラミレスに白羽の矢が立った。古田敦也は、ランナーをどうやってかえすかを考えて打席に立っていたと思うと話した。ラミレスが出した答えはホームランでなく仲間をかえす打点だった。ランナーをかえすために打ち方も変え、得点圏打率は2年目の2003年には.373まで上昇した。元ヤクルトコーチの八重樫幸雄は、対戦相手の配球もメモに書いていた、古田からキャッチャーはどういう配球をするかを聞いていたと話した。2003年には大台124打点を記録。2004年にはケガで2軍での調整を余儀なくされたが、この年も100打点を記録した。チームを鼓舞するなど精神面でも柱になった。2008年には巨人に移籍し、8年連続100打点を達成した。
古田は、ランナーをどうやってかえすかを考えて打席に立っていたと証言した。ラミレスは、古田さんは日本の野球がどういうものかを教えてくれた、メジャーでは打つ方はよかったが守備はダメだった、DHなしのピッツバーグにトレードされたときにヤバいと思った、当時の年俸は1000万円くらいで2000万円の家を建ててローンを払っていた、日本から1億円のオファーがあってすぐに日本に飛んだ、来日した頃は日本の野球を見下していたが難しかった、すぐにクビだと思ったが若松監督は我慢強く試合で使ってくれた、ワンバウンドの練習は八重樫コーチに教わった、日本の文化を学んだからこそ変わることができた、監督に4番を交代させようと思わせないように打点にこだわった、落合監督に「なぜ得点圏で長打を狙わずにランナーをかえすバッティングをするのか」と聞かれ、「それが一番打点を稼げるから」と答えたら「お前のことは好きだけど敵としては嫌いだな」と言われた、亀田さんに毎試合録画してもらって配球を研究した、ポイントは対戦する投手との過去の対戦ではなく直近で私の調子が悪かったときの配球だった、アイーンは元ヤクルトの度会選手に習った、やってみたらファンがすごく喜んでくれたと話した。
ラミレスの打撃の秘密は捕手の研究。対戦した捕手は手の内を見透かされて打たれていた。矢野燿大は、ラミレスは嫌な選手、僕と勝負している感じがあった、どんなボールが来るのかを予想して確率を高めていたと話した。矢野が今でも悔しくてしかたない試合は2003年6月7日のヤクルト阪神戦。投手は下柳剛。0-0のまま6回裏になり、ランナー1塁でラミレスを迎えた。2ストライクをと追い込み、矢野はラミレスがアウトコースの変化球で来ると考えていると読んだ。三振を狙インコースストレートを指示したが、完璧に打たれてしまった。現在横浜一軍コーチの相川亮二は、ラミレスはわざと空振りするくらいの駆け引きをする打者だった、わざと空振りしたのかも駆け引きの要素にしていた、ラミレスを混乱させるためにセオリーを無視した配球をしていたが最後には打たれてしまうと話した。元広島の倉義和が悔しくて眠れなかった試合は、2006年10月7日のヤクルト広島戦。ラミレスに投げたスライダーはキャッチャーフライになったが、倉はミスで捕ることができなかった。しかしその時倉はラミレスにスライダーは打てないと考え、もう1球スライダーで勝負した結果、ホームランを打たれた。小田幸平は、対戦する中でラミレスが一番嫌なバッターだった、初球はどんな球でも打たなかった、年に2回くらい打つのでその2回が怖かった、あの人の良さは対戦した人しかわからないと話した。
ラミレスは彼らは素晴らしい捕手なので一歩先に行きたくて時間をかけて捕手の研究をした、矢野さんは甲子園だけじゃなくすべての球場のデータを調べた、私の考えも見透かされている感じだったので阪神戦は大変だった、藤川監督は自分のスタイルを持っていたので誰が捕手でも関係なかった、それがわかっていたので得意だった、相川さんはいつも私の足の位置を確認していた、だから足の位置をわざとインコース狙いにして実はアウトコース狙いだったり心理戦を繰り返していた、とにかく研究して準備を進めること、準備がしっかりできていたから2球見逃しても平気だった、私は誰よりもうまい最高のバッターではないがデータ分析に関しては他の誰よりも上だと思っていると話した。ラミレスは思い出のシーンとして「ゲッツ」のパフォーマンスを挙げ、パフォーマンスするためには野球で活躍しなければならない、その環境が私を最高の選手にしてくれた、つば九郎は一緒にパフォーマンスを考えて教えてくれたとと話した。
エンディング映像。
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