ヤクルト、巨人、DeNAで活躍したラミレスは、首位打者、本塁打王など輝かしい成績を残した。中でも8年連続100打点は王貞治を超え歴代1位。ラミレスは毎シーズン100打点の目標を立てて実行していた。ラミレスはホームランの量産を期待されて来日。メジャーでは実力を発揮できないと感じ、家のローン返済のため軽い気持ちで日本に来たが、開幕直後は凡退が続き、1か月の打率は.207だった。元中日の野口茂樹は、1年目は全く打たれなかった記録があると話した。変化球を駆使する日本人投手相手にボール球に手を出していた。ラミレスの元個人マネージャーの亀田正恭は、ワンバウンドのティーバッティングを目撃していた。ワンバウンドさせた球を変化球に見立てて、引きつけて打つ練習をしていた、その結果打率は.322となり、その後も好成績を残しヤクルトの日本一に貢献した。ペタジーニが巨人に移籍すると4番の後釜としてラミレスに白羽の矢が立った。古田敦也は、ランナーをどうやってかえすかを考えて打席に立っていたと思うと話した。ラミレスが出した答えはホームランでなく仲間をかえす打点だった。ランナーをかえすために打ち方も変え、得点圏打率は2年目の2003年には.373まで上昇した。元ヤクルトコーチの八重樫幸雄は、対戦相手の配球もメモに書いていた、古田からキャッチャーはどういう配球をするかを聞いていたと話した。2003年には大台124打点を記録。2004年にはケガで2軍での調整を余儀なくされたが、この年も100打点を記録した。チームを鼓舞するなど精神面でも柱になった。2008年には巨人に移籍し、8年連続100打点を達成した。