2024年4月、2階の棚を整理していると佳秀さんの手帳などが出てきた。スケジュールと共にその日の出来事を書いていた。映像ディレクターだった佳秀さんは円子さんが生まれた頃には違う仕事を探していた記録が残っていた。移動販売していた団子屋に弟子入りをしたりしていたという。大介さんは珠洲市へボランティアへと行った。現地では水が足りない状態で寺の奥にあった使われていない水源に注目してそこから水をひいて水くみ場を作った。
仕事とは別に自然を守りたいという思いの大介さんは1年前から無農薬の米作りをしていて、この日は幼なじみらと草取りを行った。幼なじみの手塚さんと廣瀬さんらとは袴姿で無事に成人したことを報告したりしたという。一方で父とは直接会えない状態だという。父とはまた一緒に暮らしたいが今の状態の父親が戻っても生活は成り立たないのが現実となっている。
仕事とは別に自然を守りたいという思いの大介さんは1年前から無農薬の米作りをしていて、この日は幼なじみらと草取りを行った。幼なじみの手塚さんと廣瀬さんらとは袴姿で無事に成人したことを報告したりしたという。一方で父とは直接会えない状態だという。父とはまた一緒に暮らしたいが今の状態の父親が戻っても生活は成り立たないのが現実となっている。