小朝が春風亭柳朝の弟子となった経緯について「叔父さんがテレビプロデューサーだった。新宿末廣亭の支配人と知り合いだからと紹介してもらい、そこで柳朝さんを紹介してもらった。その前に文楽師匠の所に手紙を書いていた。中学生の時。当時ネタを120以上持ってて即戦力になると思っていた。後で分かったが、文楽師匠のところに手紙を返信する係の人がいて、達筆で断られ諦めていた。そこでうちの師匠がいいとなって」などと話した。正蔵は初めての稽古は父からだったという。「落語は厳しい稽古だからって。最初の稽古で言葉が詰まった途端にげんこで頬を叩かれ終わった。最初のうちの5~6回まではずっと叩かれていた」などと話した。ただ、観客を巻き込む話術とギャグを織り交ぜた落語で演芸ブームの火付け役となった初代林家三平の”三平落語”は、末廣亭っで古典落語をやっていたとき、言葉が詰まり「あー、うー」と言っていたら客がだんだんとウケて、この手法でいくと決め生まれたという。正蔵はこの話を聞いて「60歳になってこの衝撃どうしたらいいんだろう」などと話した。
一之輔は笑点に昔から出たかったかと問われ「一切。むしろ笑点があるから僕たち落語家は古いことやってるねとか、なぞかけとかそういったイメージが付いちゃってる。あの人達のせいで僕らの肩身が狭いと思っていた。ただあの番組があることによって噺家というものも認識されている」などと話した。笑点出演決定を誰にも打ち明けられないことについては「師匠には発表の3日前に打ち明けた。うちの師匠はそういう所で生きてないから笑点出るというのが怖かった。ただ打ち明けたら『良かったじゃん』と言ってくれた。それを聞いて、弟子の可能性を受け入れてくれる良い師匠のところに入ったなと思った」などとした。正蔵は弟・三平の笑点入りが決まったとき「うちの家族も誰も知らなかった。スケジュールにはずっと”NHKリハ”と入っていた。本番の日も”NHK本番”と入っていたが、CM前の『この人です』と足元が移った瞬間に弟だと分かった」などと言った。また正蔵は弟とは落語の話はあまりしないと話した。
一之輔は笑点に昔から出たかったかと問われ「一切。むしろ笑点があるから僕たち落語家は古いことやってるねとか、なぞかけとかそういったイメージが付いちゃってる。あの人達のせいで僕らの肩身が狭いと思っていた。ただあの番組があることによって噺家というものも認識されている」などと話した。笑点出演決定を誰にも打ち明けられないことについては「師匠には発表の3日前に打ち明けた。うちの師匠はそういう所で生きてないから笑点出るというのが怖かった。ただ打ち明けたら『良かったじゃん』と言ってくれた。それを聞いて、弟子の可能性を受け入れてくれる良い師匠のところに入ったなと思った」などとした。正蔵は弟・三平の笑点入りが決まったとき「うちの家族も誰も知らなかった。スケジュールにはずっと”NHKリハ”と入っていた。本番の日も”NHK本番”と入っていたが、CM前の『この人です』と足元が移った瞬間に弟だと分かった」などと言った。また正蔵は弟とは落語の話はあまりしないと話した。