3席目は世界にその名を轟かせた最大の冒険を振り返る。5大陸の最高峰を制覇した植村は1972年、次なる冒険の準備に取り掛かる。それはたった1人で北極点を目指すという成功すれば世界初の快挙となる大冒険である。まずは局地の寒さに慣れるため氷の国・グリーンランドで1年間、イヌイットと暮らしながら犬ゾリの操縦の仕方を学んだ。その犬ゾリでまずはグリーンランド3000kmを走破し、グリーンランドからカナダを経てアラスカまで1200kmを走破し北極点単独行の準備を着々と進めていく。しかし問題は物資の補給であり、飛行機による補給には莫大な費用がかかり出版社・新聞社・テレビ局がスポンサーにつくだけではとても足らず募金を募ることにした。宣伝の甲斐あってか全国から続々とお金が送られてきたが、植村は嬉しいながらも大きな重圧を感じていた。そんな中、日本大学のチームが日本初の北極点到達を目指すという。マスコミは植村対日大でどちらが勝つかと掻き立てた。植村は気にしないように努めるがマスコミはヒートアップする一方であった。1978年2月、犬ゾリを引く犬を調達するため植村はグリーンランドへ入った。しかし優秀な犬は全て日大チームに取られており、残っているのは十分に訓練されていない犬ばかりであった。犬同士の喧嘩が絶えずチームワークは最悪であり、さすがの植村もこれには頭を抱えた。翌3月5日はいよいよスタート地点のカナダの島から北極点を目指して出発となった。ほどなく目の前に現れたのは大小無数の氷のブロックが二重三重にも重なり合う乱氷帯でそれが見渡す限り延々と続いていた。進むには氷を砕いて道を作るしかなくマイナス40度を下回る寒さの中、懸命に氷を砕く。ようやく作った道にソリを走らせようにも犬たちのチームワークが悪く1日に進めるのはわずか2kmであった。後悔の念に駆られたがある朝のこと、植村がテントで眠っていると異様な物音が聞こえてきた。凶暴なホッキョクグマが食料の匂いを嗅ぎつけやって来ていた。犬たちは吠えもせず一目散に逃げてしまっていた。足音はゆっくりと近づいてきてテントが引き裂かれその上から巨大な足が植村の頭を押さえつけ死を覚悟したその時、頭に浮かんだのは4年前に結婚した妻・公子であった。祈りながら息を殺し、身動き1つせずいなくなるのをひたすら待った。20分後、ホッキョクグマは去っていった。出発して3週間、果てしなく続いていた乱氷帯を抜けると平らな氷原が現れた。犬たちも慣れ、ソリは快調に走り出したが前方にはソリが走った跡が見えた。日本大学の遠征隊に先を越されていたのである。日大チームが先に北極点に到達することを知った時の植村の肉声が流れていった。日大のことは気にしていないつもりだったがそれでも悔しく涙がこぼれたが自らを鼓舞しながら走り続けた。1978年4月29日、ついに植村直己は北極点に到着した。
