漁協で紹介された楠森島の事を知る田北さんの元へ。楠森島は実はイワシ漁が盛んで松茸も獲れサツマイモ畑もあったという。父親が島民だった亀川さんを紹介してもらった。亀川さんも元島民で島で暮らしていたのは昭和30年頃、亀川さんはサツマイモや麦の畑の手伝いをしていた。昭和30年の人口は13人。高度成長期の頃から経済的な問題や子どもの教育問題などで離島したという。昭和45年に無人化。天草周辺は日本有数のイワシの漁場だった。カタクチイワシを加工したイリコは関西で飛ぶように売れ島民の生活を支えた。イワシを煮釜で煮て灰汁抜きを行い一枚ずつ乾燥させイリコ(煮干し)にする。イワシ漁の際には見張り台に人が登り群れの位置を船に知らせていた。亀川さんは一緒に上陸することになった。