武田軍は高天神城をより堅固にし、選りすぐりの兵士を配置した。1579年11月、徳川軍が攻略を開始。城を囲むように20以上の砦を築き、高天神城は孤立してしまう。本拠地には城からの救援要請が届くも、武田勝頼は北条氏と対立状態。重臣たちは援軍に反対した。高天神城の城主は降伏を申し入れたものの、織田信長は受け入れない。城兵は決死の覚悟で突撃した末、ほぼ全員が討死した。勝頼は城を見捨てたと求心力が低下し、裏切りが相次いだ。1582年、織田・徳川軍が領内に攻め込み、武田勝頼は自死した。
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