ナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディングは幼少期からライバル同士だったが、お互いの力を認め合う友達でもあった。しかし、ハーディングはケリガンの才能と恵まれた環境を羨んでいた。トーニャの父は病気で定職に就けず、母は娘に日常的に暴力を振るった。15歳になったハーディングはジェフ・ギルーリーと出会う。5年後、2人は結婚。しかし、後にジェフも暴力を振るうように。そして、2年が経った頃に離婚。1992年、アルベールビルオリンピックのアメリカ代表に選ばれたケリガンとハーディング。ケリガンは銅メダルを獲得。一方、ハーディングはトリプルアクセル失敗が響き、4位に終わった。ハーディングは引退を決意した。引退後のハーディングはアルバイトで生計を立てていた。その後、元コーチのダイアンがハーディングの元にやって来て、オリンピックの新方針のため、2年後にオリンピックが開かれることを知った。ダイアンに説得されたハーディングは現役復帰を決意した。オリンピックまで3か月と迫った頃、ハーディングは不調に陥った。そんな時、元夫のジェフから電話が。ハーディングは悩みを打ち明けた。それをきっかけに2人は復縁。しかし、その後もハーディングの不調は続いた。その頃、会場の事務所にハーディング宛ての殺害をほのめかす電話が。代表選考に深く関わる重要な大会に出たら背後から撃ち殺すというものだった。ハーディングは欠場を決めた。精神的に不安定になり、さらに調子を落としたハーディング。そんなハーディングの姿を見てジェフは仲間とともにケリガン脅迫を企てた。
