3人目は美濃部亮吉。自動車公害をいかになくすか、排ガスをきれいにする、かなり厳しい規制をかけたという。光化学スモッグなどの公害問題が深刻だったこの時代に美濃部都知事は都民の健康と生活を守るため、国よりも先に規制を強化。結果として国を動かし、全国自治体の公害行政の先駆者となった。問題「美濃部都知事が行った東京都初の“ある交通制度”とは?」、正解は「歩行者天国」。1970年、銀座、新宿、池袋、浅草の4地区で初めて実施され、車道を歩行者のために開放するという試みが行われた。
© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.