沖縄県のポツンと一軒家を訪ね、主の親寄さんに話を聞いた。親寄さんは麓の集落で6人兄弟の長男として生まれ、4歳のときに沖縄は太平洋戦争の戦場となった。親寄さんは戦闘機の種類で音が違った、防空壕の歌を教えられていたと話した。戦後、住民の食料は米軍によって配給された。ポーク缶やチョコレート、アイスクリームが美味しかったと話した。連合国による占領が終わっても沖縄は27年間アメリカの統治下に置かれた。使用する通貨はドルで右側通行だったという。1972年に日本に返還されたが交通規則の変更には準備が必要だったため、規則が変わったのは1978年7月30日だった。当時役場に車で通勤していた親寄さんは戸惑ったという。