南武線の歴史を後藤記者が探った。出発は南武線の原点とも言える川崎市の宿河原駅から。案内してもらうのは川崎の歴史を研究している川崎市市民ミュージアムの鈴木勇一郎学芸員。駅から程近い道に不自然なカーブが、実はここ、線路の跡なのだ。南武線の誕生に深く関わっているという線路跡をたどっていくと。その先に広がっていたのは多摩川の河川敷だった。南武線の前身の私鉄、南武鉄道が路線を開業させたのは昭和2年。関東大震災から4年後の当時、多摩川では復興需要で砂利採取が過熱してた。砂利は鉄筋コンクリートや道路舗装などに使われこの砂利を運ぼうと鉄道が作られた。さらに開業から10年後には日中戦争が勃発。戦中は軍需を中心に、そして戦後も沿線には次々と工場ができた。工業の発展とともに沿線では働く人のための宅地開発も進んだ。宅地開発の歴史をたどろうと次に降りたのは津田山駅。駅前には住宅街が広がっている。駅から小高い山を歩いて10分ほど。津田興二とは後に東急電鉄となった玉川電鉄の社長。津田山駅の名前の由来にもなった人物。実はこの地域では南武線の駅ができる前から近くを走る今の東急が沿線開発を進めていた。このため駅前の山は社長の名前から津田山と呼ばれていた。そして最後にやって来たのが武蔵小杉駅。タワーマンションや商業施設が建ち並ぶ人気のエリアだ。ここもかつては工場が集まる地域だったがバブル崩壊後、工場が移転や撤退した跡地にマンションなどが次々とでき、今の姿となった。駅前の歩道の脇に僅かに残る面影を見つけることができる。砂利採取から始まり工業化、そして住宅地、商業地として栄えてきた南武線はまもなく開業100年を迎える。
住所: 神奈川県川崎市高津区下作延6-2-19