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「浅野邦子」 のテレビ露出情報

石川県金沢市の箔一の販売コーナー。ここには遠方からファンが訪れる。その売場の一角に掲げられる写真には浅野の母で金沢の金箔を金沢箔として売り出した浅野邦子の写真が。1967年に邦子は結婚を機に金沢へやってきた。その夫の家業は金箔製造だったが、当時から金箔作りが行われていた金沢は、産地として全国的な知名度はなかった。まだ20代だった邦子は、売り上げが減り続ける金箔作りに違和感をもち、金沢の金箔を誰もが知るブランドにしたいと思い立った。取り組んだのは、仏具ではない日常使いできる金箔商品。しかし職人たちは協力的ではなかったという。なんとか必死で説得し商品を作りあげ東京の百貨店で飛び込み営業をしてまわった。諦めず商品のデザインの開拓を重ね、必死で百貨店で金沢箔を売り込んだ。浅野はそんな母に厳しくも情熱があり時代を駆け抜けていった人だったと答えた。また母についてはいつもお金に苦労している様子だったと語った。そんな邦子のビジネスの突破口になったのがうつくしやという店のあぶらとり紙。元々は金箔作りが生まれたものだという。邦子はあぶらとり紙を東京の百貨店などに売り込み人気に。その後のビジネスの足がかりになったという。浅野は元々あぶらとり紙の元になった箔打紙は捨てられていたもので、金箔屋が副業的にあぶらをとる紙として副業的に売っていたものだったという。

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