大宮西高校を自主退学し渋谷のギャルサーを卒業した赤萩は遊び過ぎて3〜40万円の借金ができ、フリーターでは返済できず渋谷を離れ18歳の時に先輩に紹介され港区のスパに就職。1年働いたが渋谷に戻りたいと思い渋谷の広告代理店に転職。藤田ニコル、プロデュースのつけまつげを作ったりしていた。雑誌eggが休刊してしまったが21歳時にウェブ版eggの編集長に就任。赤萩はゆうちゃみなどをスカウトした。4年務めた編集長だが結婚を機に専業主婦も考えたが渋谷女子インターナショナルスクールを開校し校長に立候補。先生をさがしたり経営面にも関わっている。赤萩は渋谷女子インターナショナルスクールを日本一の学校にしたいと47都道府県を原付で一周しながら学校説明会を行った。生徒は全員ギャルマインドを持っているが見た目ギャルは3割ほどだという。