温故知新の本社は東京・新宿区のビルの中にある。ここはシェアオフィスで、借りているのは一室のみ。従業員は420人いるが各地のホテルで働いているのでここで十分だという。現在松山の元には運営の依頼が年間100件近く来ているという。この日はデザイナーと熱川に手掛けるホテルの打ち合わせを行っていた。温故知新はこうした集客が難しそうなホテルの駆け込み寺にもなっている。今でこそ旅行業界で注目が集める松山だが過去には絶対絶命のピンチに追い詰められたことも。1973年にアメリカ・デトロイトで生まれた松山は外資系コンサルティング会社を経て、星野リゾートに入社。任されたのは、旅館の再生事業でそこで宿泊業の面白さにのめり込み、一生の仕事にしようと決意。松山はその後星野リゾートを辞め2011年の37歳の時に温故知新を創業した。そのわずか1ヶ月後に東日本大震災が発生した。日本中が観光どころではなくなる非常事態で、松山が用意していたプロジェクトもすべてストップした。松山は旅行のコンサルティング業務で急場をしのぐがその一方で自分が思う宿を作りたいと思っていた。その転機は4年後。松山のもとにはじめてホテルの運営依頼が舞い込んだ。それが山の中にある安藤忠雄氏が手掛けた美術館の再生案件だった。
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