2度目の最大震度7を観測した4月16日未明、熊本市民病院の様子をカメラが捉えていた。このとき病院はかつてない判断を迫られていた。当時市民病院の院長だった高田院長は災害対策本部長として指揮をとり午前6時入院患者310人全員避難を決定した。余震が続く中、倒壊の危険がある病棟で医療行為を続けることはできないという判断だった。高田氏は「これで良かったのだろうかという思いは強くあった」、当時女児の主治医だった本田医師は「避難できるような状況じゃなかったので院長先生と話をして残ることができないかとか話はした」という。女児は違う病院に搬送後5日後に亡くなった。小児循環器内科には当時18人が入院。当時部長だった八波医師はひとりひとり退院や転院の手続きを進めていた。入院患者310人の最後の避難が女児で「何も考えられなかった、医療従事者として何もできなくなってしまった、無力感が強かった」という。医師たちは避難所を訪れたほか患者との連絡も取り続けた。本震から12日後に外来を再開するも重い心臓病の子どもを受け入れられる状況ではなかった。病院は地震から1年後、310人の入院患者がどうなったのか追跡調査を行い転院患者200人中15人が死亡、女児を含む2人は転院が影響していると結論づけた。また退院患者110人への調査は行われていない。当時1歳の女児は熊本地震が発生後病院から避難、家族の車で宮崎に戻った。その後宮崎市内の病院に入院するも病状は悪化2016年6月1日に亡くなった。母親は「あの時どう動いたらよかったんだろうとずっと今でも思っている」という。女児について災害関連死に申請できずにいるため熊本地震の死者278人には含まれていない。女児は「熊本地震の被災者、被害者だと思っている。申請していないから(関連死の)中には入れてもらえない。本当は隠れて見えない方たちがいっぱいいると知ってもらいたい」という。八波氏は「一人でも多く救う方法はなかったのか」と自問しているという。
住所: 熊本県熊本市長嶺南2-1-1
URL: http://www.kumamoto-med.jrc.or.jp/
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