宮城・石巻市、狩野さん夫妻は15年前に最愛の長男を亡くした。息子・悟さんは重い障害があり医療的ケアが必要だった。当時、母は悟さんと次男と平屋の自宅にいた。次男は自閉症で避難をためらわれた。津波が器官に入り息を引き取った。悟さんが亡くなった数キロ先に東日本大震災前から誰一人取り残されない防災に取り組んでいる地域がある。民生委員の蟻坂さんは町内会と連携し防災をネットワークを立ち上げた。この仕組みが大きな役割を果たした。防災ネットワークでは支援が必要な人に対し2人の支援者を事前に決めて災害時に支援に回るよう準備していた。当時、八幡町に17人が支援を必要としていた。このうち街にいたのは14人。6人は支援者がかかりつけて避難できた。残る8人の打ち2人は死亡したが、自宅に避難したり近所の人などが支援したことで難を逃れた人もいた。近所付き合いの再構築に取り組む蟻坂さん。宮城県内では東日本大震災時、23人の民生委員が犠牲となった。誰一人取り残さないためには支援を必要とする人も命を守る備えが必要だと考えている。
