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2015年、仙台で行われた「国連防災世界会議」。仙台防災枠組が採択された。誰一人取り残されない防災を2030年までに各国で取り組むべきとされた。高橋桃子さんは女児に多い進行性の難病レット症候群を患っている。呼吸障害・知的障害・てんかん発作などを引き起こす。医療的ケアが必要で停電が命に関わる。
日本は赤ちゃんが最も安全に生まれる国といわれている。低体重や病気で亡くなる赤ちゃんを救えるようになった反面、生きるために医療が必要な医療的ケア児が増加。20年ほど前と比べ2倍を超える。宮城県内には医療的ケア児が合計約900人いるとされている。その1人が高橋桃子さん。停電時、非常用電源設備がある避難所を希望している。仙台市の決まりはまず向かうのは最寄りの指定避難所。生活が厳しいと保健士が判断すると福祉避難所に案内される。候補となる避難所に向かうのは川を超えて浸水区域に移動することとなる。仙台市では普段利用している社会福祉施設等に直接避難が可能だが、桃子さんが通っている施設は登録されていない。国は個別避難計画を進めている。作成は市町村の努力義務。本人の同意などがあれば平時から支援関係者に提出される。しかし宮城県は作成に遅れている。2025年度の作成率は全国を下回り医療的ケア児に限るともっと少ない。移動にはエレベーターが欠かせないが停電すると使えない。避難に支援を望んでいるが近所は高齢者が多く同性2人暮らしで名簿の提供にも不安がある。仙台市は医療的ケア児などに対し非常用電源の購入補助制度を開始し、高橋さんは見積もりをとるため店を訪れた。
高橋さんは進行性の難病でたんの吸引や夜間ん人工呼吸器が必要で医療機器が増えている。言葉を話すことはできないが自分の意思は示せる。高橋さんたちは自分たちの存在を知ってもらおうと動き出した。この日は東日本大震災の経験を伝えに来た。伝承活動をしている閖上の記憶は誰でも経験を伝えられる場を提供している。高橋さんは災害当時、集合住宅に2人暮らしだったが電気・水道・ガスが止まった。東日本大震災で取り残された高橋さんたち。災害弱者と支援の問題は至るところで起きていた。
宮城・石巻市、狩野さん夫妻は15年前に最愛の長男を亡くした。息子・悟さんは重い障害があり医療的ケアが必要だった。当時、母は悟さんと次男と平屋の自宅にいた。次男は自閉症で避難をためらわれた。津波が器官に入り息を引き取った。悟さんが亡くなった数キロ先に東日本大震災前から誰一人取り残されない防災に取り組んでいる地域がある。民生委員の蟻坂さんは町内会と連携し防災をネットワークを立ち上げた。この仕組みが大きな役割を果たした。防災ネットワークでは支援が必要な人に対し2人の支援者を事前に決めて災害時に支援に回るよう準備していた。当時、八幡町に17人が支援を必要としていた。このうち街にいたのは14人。6人は支援者がかかりつけて避難できた。残る8人の打ち2人は死亡したが、自宅に避難したり近所の人などが支援したことで難を逃れた人もいた。近所付き合いの再構築に取り組む蟻坂さん。宮城県内では東日本大震災時、23人の民生委員が犠牲となった。誰一人取り残さないためには支援を必要とする人も命を守る備えが必要だと考えている。
宮城・栗原市では医療的ケア者が避難所までたどり着けるのか訓練が行われることとなった。星奏唱さんは出生時の低酸素脳症で人工呼吸器を装着している。医療的ケア者の支援に長年携わる県の相談支援センターのスタッフも参加した。専門的立場から助言を行うなど先進的なサポートを行う。停電した想定で人工呼吸器の電源を切り内部バッテリーに切り替える。地域の人に避難の手助けを行う。避難所では訓練の様子を生中継し行政や支援者団体がいる。支援をお願いしてから5分後に支援者が到着した。1分1秒を争う避難では事前に導線の共有が必要。人工呼吸器を外して車に乗せるため手際が重要となる。地域の人の先導で避難所へ。避難を決めてから約30分で避難所に到着した。医療機器の扱い方や医療的ケアについて迅速な避難には星奏唱さんについて知ってもらうことが大切。避難を決めてから約1時間、星奏唱さんの命を守る場所が出来上がった。
高橋さんは震災時に取り残されないよう経験を伝える。神戸市から来た井関さんには医療的ケアが必要な娘がいる。阪神・淡路大震災を経験。南海トラフ地震に不安をつのらせている。東日本大震災で大きな被害を受けた閖上。閖上に通ううちにたくさんの人が高橋さんを気にかけてくれるようになった。高橋さんの家に非常用電源が届いた。2、3日自宅でしのげる計算だったが、気温の低さもあって想定していたよりも早くバッテリーの残量が減ってしまった。高橋さんの避難場所はいまだに曖昧。
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