2026年9月30日放送 2:45 - 3:45 フジテレビ

FNSドキュメンタリー大賞
15年目の一歩 〜東日本大震災 子どもたちの記録〜

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(オープニング)
オープニング

2026年3月11日、東日本大震災から15年を迎えた。被災地では深い祈りが捧げられた。あの日、東北の太平洋沿岸は巨大津波に見舞われ岩手県内では5147人が死亡し、1106人が行方不明となった。時が流れても大切な人を失った悲しみが消えることはない。

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大船渡市(岩手)東日本大震災
(FNSドキュメンタリー大賞)
15年目の一歩〜東日本大震災 子どもたちの記録〜

東日本大震災から15年。子どもの頃の夢を叶え活躍する若者もいる。女子プロレスラーのMIRAIさん。みちのくプロレス所属の唯一の女子選手。プロレスラーの道を選んだのは震災がきっかけだった。地元は宮古市。離れて暮らしているが帰省すると地元の海へ行く。震災から15年を迎える3月、宮古市で行われる試合を前に宣伝に力が入る。小学生の頃から柔道に打ち込み格闘技の道を歩んできた。震災が起きたのは小学5年生。宮古市の死者・行方不明者は570人。父の漁船や作業小屋が流失した。人生を決定づけることがおきる。市内で開かれたプロレスのチャリティーマッチ。それ以来、選手のグッズを数多く集めるほどプロレスにのめり込んだ。高校卒業後はプロレスの世界へ。関東の4団体を渡り歩き2025年11月、みちのくプロレスへ。移籍後、女子プロレスの2つの国内タイトルを獲得し全国的な注目を集める選手に成長している。現在は両親とともに盛岡市に住む。両親は娘のプロレス界入に反対していた。今はほぼ毎試合応援に駆けつけている。ただ揺れる思いも抱えている。地元で戦いたいと移籍したみちのくプロレスでは対男子となり勝ち星をあげられていない。震災15年の節目に行われる故郷での試合が迫る中、MIRAIさんは答えを出せずにいた。震災当時、子供だった若者が生き抜いて来た15年。被災地には同じ時間、娘の帰りを待ち続けた人もいる。

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2025年10月、少女の遺骨が家族の元へ返された。震災当時6歳だった山根捺星さん。母は遺骨を大切に抱きしめていた。生まれ育った山田町。自閉症で会話が難しかったものの明るく元気いっぱいな女の子だった。震災当時、捺星さんと両親・祖父母・長男の6人暮らし。山田町では死者・行方不明者は830人。限界を開けると目の前に津波が迫っていた。祖母は一命をとりとめたが父が家にたどり着いた際、捺星さんの姿がなかった。その後、手がかりは見つからず思いが募る日々が続いた。震災から14年半、大谷海岸で建設会社の従業員が見つけた骨が捺星さんの下顎の一部と判明した。遺骨として戻った捺星さん。山根さん夫婦に家族のように寄り添ってきた女性がいた。

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娘を失った山根さん夫婦に寄り添い続けてきた当時6歳だった山根捺星さんの同級生の吉田楓恋さん。小学校卒業時、捺星さんの卒業証書を手作りしプレゼントしていた。訪れる吉田さんに両親は成長した捺星さんの姿を重ねていた。吉田さんは現在、娘を育てる母に。一緒に時を歩むはずだった捺星さんの思いを未来につなげている。

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震災から15年の節目が近づいたこの日、及川晴翔さんが帰省した。亡き両親の名前が刻まれた慰霊碑に大学にもう1年残ることを伝えた。震災遺児の支援が修了することもありアルバイトで学費と生活費を賄うと決めた。15年支え続けてくれた存在に答えるため及川さんはその決意で今を生きている。震災15年にあわせて宮古市で行われるみちのくプロレスの試合当日。MIRAIさんにとって移籍後初の故郷での試合。宮古市のリングに立つヒーローを客席から見ていた15年前、今は自身がそのリングに上がろうとしていた。みちのくプロレスでの初勝利を掴んだ。この日、思いの全てをファンに届けた。震災からまる15年となる3月11日、山根さん一家は捺星さんの遺骨を携え遺骨が見つかった大谷海岸へ。初めてこの砂浜に足を踏み入れた。仏壇にはケーキが備えられた。そして知人が訪ねてきた。届けてくれたのはカメラに残っていた写真。東日本大震災から15年。あの日から変わらぬ思いを胸に一歩ずつ前に進もうとしている。

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