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「田中角栄元総理」 のテレビ露出情報

おとといから始まった臨時国会。自民党の政治とカネを巡る問題の中、争点の1つとなっているのが企業団体献金について。国会の初日には石破総理大臣が岸田前総理大臣のもとを訪れ、約35分間会談を行った。その中で岸田前総理は、野党が今求めているこの企業団体献金の禁止について否定的な考えを伝えた。岸田前総理は立憲民主党などを念頭に「労働組合に支えられた政党とは成り立ちが違う」といった内容を伝えた。そこについて石破総理は返答はしなかったという。企業団体献金についての各党のスタンス。自民党は禁止に慎重な姿勢。公明党は廃止になっても全然問題はない。立憲民主党や日本維新の会などは禁止のスタンス。国民民主党は全党が一致するのであれば禁止に反対の理由はないとしている。
献金とはそもそも寄付のことを指す。献金も個人献金と企業団体献金で大きく分けると2つ。個人献金は、政治家個人や資金管理団体などでは年間1000万円まで。政党や政治資金団体には年間2000万円までできる。企業団体献金は、政党政治資金団体については資本金や企業の規模感などによって年間750万円〜1億円までの献金ができるが、政治家個人などに対して禁止がされている。歴史をひもとくと政財界の癒着があった。金で政策がゆがめられてしまうところが長らく指摘されてきた。例えば田中角栄元総理の時のロッキード事件、竹下登元総理の時は内閣総辞職に追い込まれたリクルート事件などが起き、その度に何度も法改正が行われてきたという歴史的な背景がある。結果、企業や団体からの政治家個人への寄付は禁止がされが、政党や政党支部への献金は今もできる。ある意味、政党や政党支部を経由することで間接的に政治家個人に献金は可能。抜け道ではないかと指摘がされている。
石破総理大臣が岸田前総理大臣に会った理由。今の自民党の企業団体献金への依存度の高さがある。2022年の各政党の収入。自民党・約249億円。その中で企業団体献金が約1割に当たる25億円。立憲民主党や国民民主党は100万円を下回っている。自民党にとってこの企業団体献金が大きな収入源なのかがわかる。時事通信社解説委員・山田惠資氏によると、企業団体献金がなくなるとどうなるのか?「議員のほとんどが秘書などを維持できない。また一部の議員からは党が潰れるという声が上がるほど死活問題」。岸田前総理と石破総理の会談の意図について「岸田前総理が自民党の代弁者として石破総理に対して野党案をのまないように改めて釘を刺した形ではないか」と分析。NEWS検定「企業献金できない会社は?:青・3年以上黒字、赤・3年以上赤字、緑・毎年本社を移転」。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年11月23日放送 20:56 - 22:15 テレビ朝日
有働Times(ニュース)
南アフリカで行われているG20サミット。高市総理と李強首相はきょうも接触はなかった。中国外務省は南アフリカ大統領と李強氏の会談で「台湾は中国の領土の不可分の一部」と強調したと発表。王毅外相はタジキスタンでの会談で日本を名指しで批判している。日中共同声明が出されたのは1972年。日中共同声明について当時の日本政府は「十分理解し尊重する」としている。専門家は「法[…続きを読む]

2025年11月19日放送 19:00 - 20:54 TBS
世界くらべてみたら萌音ちゃん16年ぶり里帰りSP
上白石萌音が第二の故郷メキシコに里帰り。小学3年生からの3年間、メキシコで過ごしたという。出版関係の仕事でメキシコへ行くことになり、世界くらべてみたらも便乗。
上白石は16年ぶりに母校へ。1977年、日本人駐在員家族のために開校。田中角栄元首相が設立に尽力した。現在も140人の日本人生徒が通っている。音楽室は思い出深いという。

2025年11月13日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
徹子&純次&良純の世界衝撃映像の会(パンダ初来日の裏側)
1972年に日中国交正常化が実現。当時の上野動物園飼育課長の中川志郎は、内閣官房長官の二階堂進に首相官邸に呼び出され、中国から来る2頭のパンダを絶対に死なせないでほしいと要請された。2週間かけて集まった資料は3冊だけで、日本語の本は一冊もなかった。情報も経験もない状態でパンダ来日を迎えた。来日したとき上野動物園には黒柳も撮影を抜け出して見学に来ていた。高級な[…続きを読む]

2025年11月13日放送 6:30 - 7:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本おはBiz
日本や欧米などでは低アルコール飲料が人気だが、中国でも若者のライフスタイルの変化に合わせて、白酒という伝統の酒が変わろうとしている。現場を取材した。

2025年11月10日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
明治初頭に日本初の鉄道が開通して、銀座は東京の新たな玄関口にり、最新の西洋文化が流れ込んで資生堂や木村家らが店を構えるようになった。銀座にある服部時計店の服部金太郎は31歳の頃に国産時計の製造に着手して大量生産に成功した。しかし大正12年に関東大震災があり、 銀座はほぼ全域が消失した。しかし銀座はそこから大胆に生まれ変わり、銀座通りの店も早々に店を開いた。震[…続きを読む]

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