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「田邊玄平」 のテレビ露出情報

イギリスから伝わった四角いパンは、日本では食パンと呼ばれている。主食用パンの略だという説がある。転機となったのは1915年、ドライイーストの国産化。酵母を乾燥させたもので、田邊玄平によって国産化が成功した。田邊はアメリカでパン作りを学び、ドライイーストに目をつけた。現在、田邊の店を継ぐ伊東正浩さんは、ドライイーストは非常に高価だったために自ら作ったと語る。もっとパンを広めるため、田邊はドライイーストを売り出すとともに本を出版してレシピや技術を公開した。さらに多くの弟子を育て全国に店を出した。米騒動が起きた時期も重なり、実業家・盛田善平は「パンは米の代用食になる」と考えた。盛田は愛知・名古屋市で1920年に製パン会社を立ち上げた。ドイツ人のハインリヒ・フロインドリーブに協力を仰ぎ、ドイツ流のパンづくりを日本の職人に学ばせ大量生産を目指す。フロインドリーブはその後、兵庫・神戸市に移り住み、1924年にパン屋を開業した。彼の弟子が開いた店は、今も神戸で営業を続けている。創業当時から変わらぬパン作りを見せてもらった。1927年、パンと米の関係を変える新たなパンが登場。洋食パンは当時流行していた洋食から中田豊治がひらめいた。カレーをパン生地で包みカツレツのように揚げるカレーパンが誕生。カレーパンこそパンをご飯の代わりに使った先駆けだと阿古さんは話す。終戦後、アメリカから配給された小麦を使い、全国でパンが作られた。高度経済成長期に突入すると、台所革命で様々な変化が起きた。定番の朝食メニューが変わり、パンがあってトーストを焼いてサラダをつけてと全部食べたことがなかったものを導入して豊かなになったと実感できる時代だった。1993年、大手パンメーカーが新たな食パンを打ち出した。日本人の好むモチモチ感を目指して作られ、1998年には同じご飯を目指すパンが他社から販売された。2011年にはついに1世帯でのパンの消費額が初めて米を上回った。

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