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今回はパン。日本にパンが伝来したのは1543年。ポルトガル人によって持ち込まれた。その後、日本人の好みに合わせて改良が重ねられた。
日本のパンの祖と呼ばれたのは、幕末に伊豆韮山を治めた江川英龍。英龍の頃に使われた釜も残っていて、当時のレシピを使って今も再現されている。かつては戦に携帯する食料で、保存がきくものが求められた。今でいう乾パンのようなものだった。本格的なパン作りが始まったのは開国後。中でも神奈川・横浜には多くの外国人が押し寄せ、パン職人がやってきた。イギリス人のパン職人学びその技術を伝えるお店が。1888年創業のパン屋。イギリスパンは当時の製法で作られている。初代・打木彦太郎はイギリス人に弟子入りし、10年ぐらい修行して信頼を得て教えてもらった。ホップを使ったパン種が秘密。1時間1回、丸4日間混ぜる。
1869年、東京で一早くパン屋を創業したのが木村安兵衛。西洋化が進む中、パンに注目。課題は酵母だった。たどり着いたのは、酒種。店では今も専門の職人が作っている。酒種では思うような膨らみにならず、酒饅頭に目をつけて、あんこをつめて誕生したのがあんぱん。作家・生活史研究家の阿古真理さんは、あんぱん無くして日本のパンは無いと語る。和菓子の特徴の1つは、四季を取り入れること。そこで、桜の塩漬けを乗せた。1875年に明治天皇にあんぱんを献上したことをきっかけに、あんぱんが全国に知られた。1904年、今度は洋菓子のシュークリームに影響を受けて、クリームパンが誕生した。江戸時代に創業した果物店は、1868年日本橋に店を開いて新しいパンとして、フルーツサンドイッチを提供した。その後、1930年代にはメロンパンが登場した。日本独自の甘いパン、菓子パンによって日本にパンが広まった。
イギリスから伝わった四角いパンは、日本では食パンと呼ばれている。主食用パンの略だという説がある。転機となったのは1915年、ドライイーストの国産化。酵母を乾燥させたもので、田邊玄平によって国産化が成功した。田邊はアメリカでパン作りを学び、ドライイーストに目をつけた。現在、田邊の店を継ぐ伊東正浩さんは、ドライイーストは非常に高価だったために自ら作ったと語る。もっとパンを広めるため、田邊はドライイーストを売り出すとともに本を出版してレシピや技術を公開した。さらに多くの弟子を育て全国に店を出した。米騒動が起きた時期も重なり、実業家・盛田善平は「パンは米の代用食になる」と考えた。盛田は愛知・名古屋市で1920年に製パン会社を立ち上げた。ドイツ人のハインリヒ・フロインドリーブに協力を仰ぎ、ドイツ流のパンづくりを日本の職人に学ばせ大量生産を目指す。フロインドリーブはその後、兵庫・神戸市に移り住み、1924年にパン屋を開業した。彼の弟子が開いた店は、今も神戸で営業を続けている。創業当時から変わらぬパン作りを見せてもらった。1927年、パンと米の関係を変える新たなパンが登場。洋食パンは当時流行していた洋食から中田豊治がひらめいた。カレーをパン生地で包みカツレツのように揚げるカレーパンが誕生。カレーパンこそパンをご飯の代わりに使った先駆けだと阿古さんは話す。終戦後、アメリカから配給された小麦を使い、全国でパンが作られた。高度経済成長期に突入すると、台所革命で様々な変化が起きた。定番の朝食メニューが変わり、パンがあってトーストを焼いてサラダをつけてと全部食べたことがなかったものを導入して豊かなになったと実感できる時代だった。1993年、大手パンメーカーが新たな食パンを打ち出した。日本人の好むモチモチ感を目指して作られ、1998年には同じご飯を目指すパンが他社から販売された。2011年にはついに1世帯でのパンの消費額が初めて米を上回った。
菓子パンやご飯代わりのパンはその後も次々と新しい顔ぶれを増やした。最近では全国各地で生まれた様々なパンを集めたイベントも開催されている。ご当地パンは地元の人々に愛されてきたソウルフード。笹だんごパン、ネギパンなどバリエーションも豊富。バリエーション豊かな日本のパンは今、海外でも注目を集めている。美食の街香港には、日本のパンメーカーが進出している。香港の人は、食パンをトーストしてバターを塗ることをせずにそのまま食べる方が多いそう。フランス・パリでは、日本生の菓子パンが人気。日本人にとってパンとは「親友」だと阿古さんは話し、製パンメーカー・浮須裕さんは「伴侶」と表現した。
