太平洋戦争末期の1944年8月、疎開する国民学校の学童を始め1700人余りを乗せ沖縄から九州へと向かっていた対馬丸がアメリカ潜水艦の攻撃を受け撃沈した。分かっているだけでも1484人が犠牲となり、約7割が0歳から15歳の幼い命だった。悲劇を伝えるため設立された対馬丸記念館。去年館長に就任したのが平良次子さん。平良館長の母・啓子さんは9歳で対馬丸事件に遭い、生き延びた体験を生涯語り続け平良さんはその姿を一番近くで見てきた。遺骨や遺品のほとんどは帰ってきていない。さらに当時は箝口令が敷かれ、事件を話すことが禁じられた上に十分な調査も行われなかった。この関係から対馬丸資料館では展示や証言資料の少なさ、運営の難しさを抱えている。平良さんは体験者の証言を活かし継承の輪を広げていきたいと全国各地の資料館とのつながりにも力を注いでいる。5日には慰霊のため沖縄へ訪問する天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが対馬丸記念館に足を運ばれる。