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「東灘小学校」 のテレビ露出情報

1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。10万棟を超える住宅が全壊し、285件もの火災が発生した。犠牲者は6434人で負傷者は4万人以上に上る。震災当時、朝の情報番組で司会を務めていた宮根さんは「すごくショックだった。今でも鮮明に覚えている」などと話した。あれから30年が経過し、宮根さんは「街の復興と人の心の復興は違う」などとも話した。
熊本・大津町で洋食店を営む杉水満さん。杉水さんは23歳の時に故郷・熊本から神戸にやってきた。神戸市内の人気洋食店などで下積み時代を過ごし、25年が経過した1995年。1月17日の午前5時46分に阪神・淡路大震災が起こった。就寝中だった杉水さんと妻・ミチ子さんは倒壊した家屋の下敷きとなった。杉水さんは自力で脱出したが、ミチ子さんは布団の中で息を引き取っていた。杉水さんとミチ子さんが住んでいた神戸市東灘区では1万3600戸もの家屋が全壊し、1470人が亡くなった。ミチ子さんを亡くした杉水さんを突き動かしたのは「2人で店を出す」という夢だった。杉水さんは熊本に戻り、震災翌年の1996年に「神戸浪漫 ハイカラ亭」をオープンさせた。開店当初は厳しい経営だったというが、再婚した律子さんの支えなどもあって店の経営は軌道に乗っていったという。そうした中、2016年4月に熊本地震が発生。避難所生活を余儀なくされたというが、杉水さんは阪神・淡路大震災からの教訓で家に細かく地震対策を施していた。そして30年ぶりに神戸の街を訪れた杉水さんは街の変化に驚くとともに、「あっという間のようであっという間でもなかった」などと震災からの30年間を振り返った。そして人の心の復興について「自分が一番幸せだと思えるぐらいに幸せになるのが亡くなった人への供養になるという思いでやってきた。人によって幸せは異なるが、この思いを求めてやればできると思う」などと話した。

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