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「福岡県公安委員会」 のテレビ露出情報

1981年、当時北九州市では暴力団の抗争が相次いでいた。1987年に工藤連合草野一家が結成。工藤会トップの男は当時初代工藤連合草野一家本部長だった。1988年には暴力団捜査担当の元警部宅を放火するなど相手がたとえ警察関係者であっても牙をむきさらにその矛先は一般市民にも。1994年、北九州市のJR小倉駅北側のホテルでピストルが発射された。みかじめ料の支払いを断ったことを理由に企業や市民への発砲事件が相次いだ。そして1999年には現在の工藤会に変え、トップの男はさらに組織を狂暴化させていった。2003年には暴力団追放運動を推進していた男性が経営する高級クラブに手りゅう弾を投げ込み12人が重軽傷を負った。2004〜2009年には一般市民や企業を狙った40件近い銃撃事件が発生。このうち少なくとも10件が工藤会の犯行だったという。2011年五代目工藤会継承式には総裁として現役を続行し工藤会の頂点に君臨し続け暴挙に出た。
2012年福岡県で元警部が銃で足を撃たれ重傷。この事件を受け警察庁は全国の警察に応援派遣を要請。警察官が北九州へ集結した。徹底して工藤会組員への職務質問をし捜査を進めたところ、工藤会計事務所の倉庫からロシア製とみられるロケットランチャーを押収。一方工藤会は職務質問のやり取りを録音しインターネットに公開して挑発した。2012年8月にはスナックなど暴力団組員の立ち入りを禁じる標章制度を開始したことに反発し一般市民を襲い続けた。2012年12月には工藤会を特定危険指定暴力団
に指定。2012年12月13日に工藤会は直轄組長などを集め事始め式を開催。しかしこの翌月工藤会や警察にとって重大な転機となる事件が起きた。
2013年1月、女性看護師が襲撃され、のちに工藤会系組員が逮捕された。被害者の看護師は工藤会トップが通院していた美容整形クリニックの担当者で、トップが術後の状態が悪かったことなどから看護師に不満を抱いていたとされている。襲撃にはトップが関わっているとみて捜査を進めていたところ、さらに暴力団排除を訴えていた北九州市漁協組合長の男性が銃で撃たれて亡くなった。男性は1998年に工藤会に殺害された男性の弟だった。元漁協組合長射殺事件の首謀者として工藤会トップの男を逮捕。決死の覚悟で福岡県警と福岡地検は工藤会長城作戦と呼ばれるトップの逮捕に乗り出し、2014年9月11日に逮捕に至った。トップとナンバー2逮捕から10年。その後4つの事件で裁判が開かれ、一審の福岡地裁でトップに死刑、ナンバー2には無期懲役を言い渡した。しかし2審の福岡高裁では一審の死刑判決を取り消して二人とも無期懲役となったことから検察は上告。トップらが逮捕されて以降北九州市では工藤会の存在は薄れ、発砲や襲撃事件は起きていない。審理は最高裁へ。

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