関は若手のときはディレクター、作家、プロデューサーは皆才能あふれた人ばかりだと思っていたが間違っていたという。お笑いを始めた頃は芸能界の一番下からスタートするが、憧れたテレビに携わるディレクターやADなど才能に溢れた人が面白い番組を作っているが歯向かえば芸能界にいられないと思っていたが年齢を重ねていくうちに作家は暗いだけの人間にしか思えないという。若い頃はそれがカッコいいと思っていたと答えた。関は秋元康のモノマネで出ることをテレビマンに言われ、かなり抵抗したことがあるという。一方で王林は地方のスタッフが独特すぎるという。そのために青森とのやり方にギャップを感じたという。青森ではすぐ終わることを丁寧に行い、何時間もかかっているという。