TVでた蔵トップ>> キーワード

「稲葉裕治」 のテレビ露出情報

1985年3月、北海道の日高町にある小さな家族経営の牧場でオグリキャップは誕生した。生産者の稲葉は右前足が大きく曲がっていたその姿に不安を覚え胸が締め付けられた。そんな中、馬主の小栗孝一は脚のハンデを気にも止めずこれはかわいい馬だ。家族がまた増えたと話した。小栗はがむしゃらに打ち込み馬主になり、所有する馬にオグリの名を付けていた。小栗はこの芦毛の馬をオグリキャップと名付け、岐阜の笠松競馬場にやってきた。当時のオグリキャップを装蹄師は普通の馬だったと話した。競馬はブラッドスポーツと呼ばれ血統が勝敗を左右する。オグリキャップは両親の戦績が振るわず二流だったが、 調教師の鷲見に育成を任せた。鷲見はオグリキャップの賢さに気づきデビュー戦で大きく出遅れたものの第4コーナーを回った所でスピードに乗る姿を見せ、2戦目で初勝利をあげ3戦目でも圧勝した。その後は9戦7勝で笠松では敵無しとなり、小栗のもとには中央競馬の馬主からオグリキャップの購入を希望する電話が殺到した。しかし小栗は全ての申込みを断った。ところが断っても何度も厩舎を訪ねてくる実業家の佐橋五十雄に「笠松の小栗は全てので終わらせていいのか。日本のオグリキャップにしましょう」という一言で馬の将来を考え佐橋に譲り渡すことに決めた。その際、オグリキャップという名前だけは残すようにお願いをした。地方から中央競馬への移籍が決まったオグリキャップ。激動の戦いが始まろうとしていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年7月18日放送 20:07 - 20:55 NHK総合
新プロジェクトX駆けろ!オグリキャップ 奇跡は起こせる
1990年5月、4カ月休養したオグリキャップは復帰戦に挑むことになり、陣営は因縁の相手である武豊に騎乗を依頼した。そして迎えた安田記念で豪快な走りが戻り1着となりレースレコードも更新した。しかし秋の天皇賞ではこれまで最低の6着に終わった。オグリキャップは食欲が落ち込みジャパンカップでは11着を大敗。ところがファンたちから応援の手紙が届き、瀬戸口と池江は有馬記[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.