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「デフサッカーW杯」 のテレビ露出情報

福岡県出身の松元卓巳選手(35)。デフサッカー日本代表候補のゴールキーパーでキャプテンを任されている。生まれつき重度の難聴。難聴の選手たちがプレーするデフサッカー。競技中の不公平さを無くすため、選手たちは補聴器を外してプレーする。55dB未満の音が聞こえないことが出場条件。これは1m先の掃除機の音が聞こえないレベル。そのため”音のないサッカー”とも呼ばれている。選手たちは手話やジェスチャーでコミュニケーションを取る。デフサッカー日本代表が注目されたのは一昨年のワールドカップ。大会には19か国が参加。日本代表は史上初のW杯準優勝。松元選手の次の目標は東京2025デフリンピック。70を超える国や地域から約6000人が参加する国際大会。100周年となる節目の大会が今年11月に日本で初めて東京で開催。松元選手は大手保険会社の契約社員として働き、競技と仕事を両立させている。1日の勤務を終えてから練習へ。練習先は大学のグラウンド。耳が聞こえる大学生の部活動に参加させてもらう。日本代表と言えども練習場所は自分で見つけなくてはならない。松元選手は生まれつき難聴。言葉や発音を学ぶ支援施設や個人レッスンに通うなど幼い頃から努力を重ねてきた。松元選手がサッカーと出会ったのは小学3年生の時。その後、強豪の鹿児島実業高校で全国2位も経験した。補聴器を付けた選手がいると日本ろう者サッカー協会から問い合わせがあり、17歳で初めてデフサッカー日本代表に選出された。当時は合宿費用や練習着など全て自己負担。苦しい時期もあったが、日の丸を背負い、仲間を引っ張ってきた。松元選手は福岡で夫婦2人暮らし。妻・沙緒里さんも難聴。松元選手にはサッカーと同じくらい強い思いで取り組んでいる活動がある。多い時には年30回以上の講演を行っている。こうした活動が評価され、国際的な賞であるパラアスリート平和賞を受賞。去年9月、松元選手は福岡ゆかりのデフアスリートと共にデフリンピックを知ってもらうイベントに参加。97%以上の人が知っているパラリンピックに対し、デフリンピックの認知度は16.3%。松元選手は111月の大会に向け少しでも興味を持ってもらいたいと話す。松元選手の存在は難聴児の希望にもなっている。先月、デフサッカー日本代表候補の合宿が行われた。実践形式の練習に協力してくれたのは今年の全国高校サッカー選手権ベスト4の強豪・東福岡高校。練習の最後には高校生から手話での挨拶が。松元選手は「簡単な手話でも使ってくれることで距離を近く感じられるし嬉しい。子どもたちやいろんな人の憧れる存在になりたいし、ならないといけないと思っているので、圧倒的な存在になりたい」と話した。

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