- 出演者
- 鈴江奈々 木原実 富田徹 森圭介 斎藤佑樹 刈川くるみ 瀧口麻衣
オープニング映像。
桜の開花が発表された東京・靖国神社から中継。午後2時ごろ気象台職員は「東京の標本木、いま観測して6輪(6輪咲いているのを観測すると開花発表となる)みとめられたため東京は開花ということで観測させていただく」などコメント。市野リポーターは「気象台の職員によると、きのう観測したときに開花は0だったというが、きのうの25℃を超える暑さで開いたのではないかということ」などコメント。
東京のソメイヨシノがきょう開花となった。上野の映像が流れた。あすは横浜、あさって熊谷、27日は前橋、水戸、28日は宇都宮と開花となる予想。
マイナ免許証の作成手続きは今日から免許センターや一部の警察署などで可能。従来の運転免許証を引き続き発行することも可能。マイナ免許証を発行した場合でも従来の運転免許証と合わせて持つことが可能。一方で警察庁は既にリリースされているマイナ免許証の読み取りアプリに一部不具合が見つかったと発表。アプリでは免許証の画像が表示される際、免許の種類が誤表示されるケースがあるという。画像と別に表示される文字情報は正しいため、警察庁は文字情報の確認を呼びかけている。スマホ向けアプリは修正されているが、パソコン向けのアプリは今後修正予定。
国家公務員の人事の在り方について話し合う政府の有識者会議「人事行政諮問会議」は、人事院に提出した提言で、現状は「危機的状況であり今の若年層は仕事を通じて早い段階から成長できる環境があるか重視する傾向がある」と指摘した。その上で人材確保の具体策として希望ポストに応募できるようにすることや資格支援の支援などを求めた。提言には民間企業並み給与水準への引き上げや長時間労働の是正なども盛り込まれた。川本人事院総裁は「しっかり受け止め全力で取り組んでいく」と述べた。人事院によると、国家公務員試験の受験者は10年前に比べ3割減。採用10年未満の退職者は2023年度には203人と10年前の3倍以上になった。
「有吉ゼミ」の番組宣伝。
今日、東京・新宿パスポートセンターで都職員がマイナンバーカードとマイナポータルを使ったパスポートのオンライン申請のデモンストレーションを行った。これまでパスポートの新規申請には戸籍謄本の原本の提出が必要だったが、マイナンバーカードの利用で戸籍謄本の提出が不要となり、窓口に行くのは受取時の1回だけで済むようになる他、申請手数料が割安になるとのこと。今日申請を受け付けた分からは顔写真ページがプラスチック素材になり、個人情報をレーザーで印字するなど偽造対策が強化されたパスポートが交付される。また都はパスポートの交付可能日を確認できる独自サービスも開始した。
読売新聞社はきょうから新たな株価指数「読売333」の算出・公表をスタートする。読売333は日本を代表する企業333社で構成される株価指数。構成銘柄全てを同じ比率で組み入れる方式で指数を算出することで、時価総額の大きい企業や一株あたりの値が高い企業の株価の動向に指数が左右されにくいという特徴がある。333銘柄それぞれの時価総額は数十兆円から数千億円まで幅広く、3割以上が東京以外に本社を持つ企業。読売新聞社は、日本企業の株が全体的に上昇しているのか下落しているのかを把握するために適した指数としている。
米津玄師が主題歌を手掛けたガンダムシリーズ最新作の舞台挨拶で、サプライズメッセージを送った。舞台挨拶では主人公を担当した黒沢ともよさんなど、声優陣が登場した。映画は今年1月に公開されると観客動員数は190万人を超え、興行収入も32億円を突破した。来月8日からはTVシリーズ放送。米津玄師は「私自身ガンダムについては非常に馴染み深いものでこのタイミングで主題歌という形でかかわらせていただくのが非常に光栄に思っております」などと話した。
斎藤佑樹が取り組む少年少女専用の野球場づくりを紹介。斎藤佑樹は「雪上ノックは高校時代の北海道のライバルだったチームの練習方法」などと話し、雪の上で野球をする映像が流れた。
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福岡県出身の松元卓巳選手(35)。デフサッカー日本代表候補のゴールキーパーでキャプテンを任されている。生まれつき重度の難聴。難聴の選手たちがプレーするデフサッカー。競技中の不公平さを無くすため、選手たちは補聴器を外してプレーする。55dB未満の音が聞こえないことが出場条件。これは1m先の掃除機の音が聞こえないレベル。そのため”音のないサッカー”とも呼ばれている。選手たちは手話やジェスチャーでコミュニケーションを取る。デフサッカー日本代表が注目されたのは一昨年のワールドカップ。大会には19か国が参加。日本代表は史上初のW杯準優勝。松元選手の次の目標は東京2025デフリンピック。70を超える国や地域から約6000人が参加する国際大会。100周年となる節目の大会が今年11月に日本で初めて東京で開催。松元選手は大手保険会社の契約社員として働き、競技と仕事を両立させている。1日の勤務を終えてから練習へ。練習先は大学のグラウンド。耳が聞こえる大学生の部活動に参加させてもらう。日本代表と言えども練習場所は自分で見つけなくてはならない。松元選手は生まれつき難聴。言葉や発音を学ぶ支援施設や個人レッスンに通うなど幼い頃から努力を重ねてきた。松元選手がサッカーと出会ったのは小学3年生の時。その後、強豪の鹿児島実業高校で全国2位も経験した。補聴器を付けた選手がいると日本ろう者サッカー協会から問い合わせがあり、17歳で初めてデフサッカー日本代表に選出された。当時は合宿費用や練習着など全て自己負担。苦しい時期もあったが、日の丸を背負い、仲間を引っ張ってきた。松元選手は福岡で夫婦2人暮らし。妻・沙緒里さんも難聴。松元選手にはサッカーと同じくらい強い思いで取り組んでいる活動がある。多い時には年30回以上の講演を行っている。こうした活動が評価され、国際的な賞であるパラアスリート平和賞を受賞。去年9月、松元選手は福岡ゆかりのデフアスリートと共にデフリンピックを知ってもらうイベントに参加。97%以上の人が知っているパラリンピックに対し、デフリンピックの認知度は16.3%。松元選手は111月の大会に向け少しでも興味を持ってもらいたいと話す。松元選手の存在は難聴児の希望にもなっている。先月、デフサッカー日本代表候補の合宿が行われた。実践形式の練習に協力してくれたのは今年の全国高校サッカー選手権ベスト4の強豪・東福岡高校。練習の最後には高校生から手話での挨拶が。松元選手は「簡単な手話でも使ってくれることで距離を近く感じられるし嬉しい。子どもたちやいろんな人の憧れる存在になりたいし、ならないといけないと思っているので、圧倒的な存在になりたい」と話した。
デフサッカーに関するトーク。斎藤佑樹は「難聴のお子さんがいるお母さんが、選手が日本を背負って頑張っている姿を見て、勇気をもらえると話していたんですけれども、本当にそのとおりだなと思いました」などと話した。4月2日、デフリンピックを盛り上げるためのイベントが国立競技場で開催。
きょうは長崎市でソメイヨシノが開花し、平年より1日おそい開花となった。鹿児島地方気象台でも桜が咲いていた。ソメイヨシノは開花して1週間から10日ほどで満開を迎える。鹿児島県内では多くの小学校で卒業式が行われた。全校生徒11人の光神小学校の今年度の卒業生は白坂愛瑠さん1人だった。長野県の天龍村ではカンザクラが見頃を迎えていた。標本木のある靖国神社では、きょうソメイヨシノの開花が確認された。
桜のベストショットを街の人に聞いた。街の人は醍醐寺や哲学の道などと答えた。他にも大学の入学式の写真や、愛犬と宮城県で撮った桜などを見せる人もいた。シンガポールから一時帰国中という家族はスタッフに写真を撮ってもらい「今のが初めての桜の前での写真」などと話した。
斎藤が桜のベストショットを紹介。カメラを持って散歩するのが好きで、近所の桜を撮ったら満月がいたという。
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大関昇進後初めて優勝してから一夜、大の里が会見で喜びを語った。次の夏場所では、日本出身力士として8年ぶりの横綱を目指す。8年前、日本出身力士として横綱に昇進したのは、師匠である稀勢の里(現・二所ノ関親方)。この時は約19年ぶりの日本出身横綱の誕生。大の里は二所ノ関親方のもとで稽古を重ね、初土俵から約1年で大関に昇進した。親方を目標に成長を遂げてきた。勝利の裏には師匠から「最後は稽古をしたやつが勝つから」とアドバイスがあったことを明かした。通算3度目の優勝は師匠の優勝回数を上回った。来場所は史上最速となる13場所目での横綱を目指す。「焦ることなく自分のペースでやることを信じて頑張りたい。親方に大関に上がった時に「大関とは」ということを教えてもらって、「横綱とは」ということもお話ししていただいた。簡単になれるものじゃないと思っているので、少しでも近づけるように頑張りたい」と語った。
アメリカとウクライナの代表団がサウジアラビア・リヤドでロシアとの停戦交渉をめぐって協議を行い、ゼレンスキー大統領は「議論は非常に有益だ」と評価した。代表団を率いるウメロヅ国防相は、「協議ではエネルギー施設と重要インフラの保護が議題に上がった」と話している。アメリカの代表団は、24日にロシアの代表団と協議する予定で、ブルームバーグ通信によるとアメリカ側は来月20日までの停戦合意の実現を目指しているという。
XJAPANのYOSHIKIさんが、自身が出演するディナーショーの発表会見に登場。ことしはディナーショーが8月に行われることが発表された。YOSHIKIさんは去年10月、慢性的な首の痛みなどにより手術を受け今回のディナーショーをもって復帰する予定だったが、急きょリハビリのプログラムを変更し東京ドームで行われた開幕戦で日米両国の国歌をピアノで演奏することになった。