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「舟一さん」 のテレビ露出情報

宮城県仙台市蒲生北部地区に一風変わった小屋がある。ここには夫婦と息子2人との暮らしがあった。2人は震災で息子を亡くし、2人きりになって12年が経っていた。
多賀城市の自宅。笹谷由夫さんは毎朝髪を剃る。そして蒲生北部地区へ車で移動する。由夫さんが震災後に建てた舟要洞場は、2人の息子の名前からとった。道場の道を洞にしたのは、「一人になって籠もりたい」との思いから。妻の美江子さんは道場を建てることは聞かされていなかったが「自分の逃げ場を作っている。偽善者みたい。生きているうちに可愛がればよかった。同じ息子を亡くしても気持ちは違う。夫婦だからって一緒ではない。」と語った。
美江子さんは、それぞれ願いを込めてちりめん細工を作っているが、「願いをかけても、現実的にはいない。何を願えば良いのか。あの世で成仏してほしいのか」と語った。美江子さんは子どもたちがやりらいことをやらせてやらなかったことを後悔している。
由夫さんは震災後日記を書き続けている。震災が起こった年の6月、美江子さんは由夫さんへ不満を伝えたが、由夫さんは「俺に対して20年間そんな心持、気持ちで生活していたのか、恐ろしいことに」と綴っている。由夫さんは自宅痕から子どもたちの写真などを見つけ出したが、美江子さんは「一生懸命自分の人生、命を削ってまでやっている気がして」と語った。ちりめん細工の教室を見つけてきたのは由夫さんで、美江子さんは夢中になった。しかし孫の話をする人などと触れ合う中で、誰にも会いたくないと感じ、ちりめん細工からも気持ちが遠ざかった。
震災後、家族の住んでいた土地には住宅が建てられなくなり、近所にあった家も工場に姿を変えている。いまも息子さんの同級生が変わらず会いにきてくれる。美江子さんは「会話わからない時がある。毎回同じことばかり聞いてる気がする。結婚したの?家族ができたの?って。それでも来てくれるのは嬉しい。かえって悪いかなって」と語った。美江子さん「100%気持ちをわかってくれる人は。結局一緒にいたのはお父さんだけだった。一緒にいれば安全で安心。」と語った。
美江子さんは息子2人だとにぎやかにしていたので、ちりめん細工でもにぎやかにしてあげたいという。由夫さんは夫婦について聞かれると「補助輪。そろそろ補助輪外さないと」と笑いながら語った。

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