次に西川貴教らは保昌山保存会の会場を訪れた。通り庭の奥に江戸時代に建てられた保昌山の保管蔵がおさめられていた。西川貴教らは保昌山のご神体を特別に見せてもらった。御神体は縁結びの御利益がある。保昌山の御神体・平井保昌はプロポーズした相手の無茶ぶりにこたえている姿だという。無茶ぶりを出した恋の相手は和泉式部であった。和泉式部はモテモテだったという。和泉式部は御所の梅の花をとってきてくれという無茶ぶりをしたという。無茶振りに応え御所の梅を差し出した保昌に和泉式部は結婚を承諾した。結婚後、和泉式部は娘を亡くしたことがきっかけで出家。その娘は最初の夫との間にできた子供だった。和泉式部は保昌と結婚する前に為尊親王・敦道親王と浮名を流すなどとにかくモテる女性だった。平安時代の美人の基準は和歌や手紙の出来栄え。付き合うまでは男女ともに顔を確認することはできず、逢瀬も夜のみだった。和泉式部は筆と和歌の力がある非常に魅力的な女性だったとされている。
住所: 京都府京都市上京区京都御苑3