- 出演者
- 西川貴教
オープニング映像。
京都の恋のパワースポットを紹介。「片山御子神社」は紫式部も参拝した恋愛の名所。ハートの絵馬が有名。「須賀神社」は節分に良縁に恵まれるお守りが配られる。「八坂庚申堂」はくくり猿に願いを書くと一願成就の御利益がある。
西川貴教は野宮神社を訪れイザベラさんに出会った。イザベラさんは日本の古典文学が好きだという。イザベラさんは京都に訪れるたびに野宮神社を訪れているという。野宮神社は源氏物語の舞台。光源氏は六条御息所とこじれた恋に陥った。光源氏がほかの女性に惹かれたことで怒りと憎しみでもののけとなって光源氏の正妻・葵の上にとりついたという。六条御息所は伊勢に旅立つことを決めた。そのとき光源氏が訪ね泣き出した。野宮神社は恋のパワースポットになっている。
次に西川貴教らは保昌山保存会の会場を訪れた。通り庭の奥に江戸時代に建てられた保昌山の保管蔵がおさめられていた。西川貴教らは保昌山のご神体を特別に見せてもらった。御神体は縁結びの御利益がある。保昌山の御神体・平井保昌はプロポーズした相手の無茶ぶりにこたえている姿だという。無茶ぶりを出した恋の相手は和泉式部であった。和泉式部はモテモテだったという。和泉式部は御所の梅の花をとってきてくれという無茶ぶりをしたという。無茶振りに応え御所の梅を差し出した保昌に和泉式部は結婚を承諾した。結婚後、和泉式部は娘を亡くしたことがきっかけで出家。その娘は最初の夫との間にできた子供だった。和泉式部は保昌と結婚する前に為尊親王・敦道親王と浮名を流すなどとにかくモテる女性だった。平安時代の美人の基準は和歌や手紙の出来栄え。付き合うまでは男女ともに顔を確認することはできず、逢瀬も夜のみだった。和泉式部は筆と和歌の力がある非常に魅力的な女性だったとされている。
京都は別れとこじらせた歌でいっぱいだという。それは昭和の世代に始まり、さにーさんは昭和ポップスが好きな女性。二条城から歩いて5分の場所にあるのはレトロな喫茶店。昭和43年創業の店で京都の名所の一つ。京都にまつわる昭和ポップスを紹介したさにーさんは、別れや傷心、失恋がテーマで別れを癒やしに京都に行くという歌が多い。渚ゆう子 の京都慕情をみてみるとそ歌詞には失恋した女性の心情が京都の観光地などを交え綴られになる情景が描かれることが多いという。
また京都にまつわる歌には長渕剛の雨の嵐山という曲が。これは長渕剛の隠れデビュー曲だという。京都を舞台に失恋をうたっているがその時の歌手名は長渕剛で剛をごうとよませていた。井上章一さんは京都に失恋や傷心な曲が多い理由には京都に来る人は1970年頃から増えていて、思春期をこじらている自分は失恋した女性が目の前にいると受け止めたという。しかし失恋ではなく70年前ほどは基本的に一人旅は男性がしていたという。その頃の女性の一人旅は心配されていたが70年代の大阪万博で状況は変化したという。国鉄がそのために潤い、ディスカバー・ジャパンという旅行キャンペーンを打ち出したが、その時に京都が最大のヒットに。しかしそれでも女性の一人旅は心配されていたという。
京都・祇園の元芸・舞妓の安藤孝子さんにお話を伺う。安藤さんは京都人について「うまいこと言いやもん。うまいこと言うて喜ばして怒らさんと。ほんまは嫌やねんけど。喜ばして陰でなんやのあんな人というのが私らやね」と話した。西川は「これが難しいんですよ本当滋賀県人には。真意をつかむのが大変」とコメント。安藤さんはその気がない相手に対しては怒らせないようにやんわりと拒否の姿勢で接した後、次は電話に出ないと断り方を明かした。
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京都・東山区の安井金比羅宮には縁切り縁結び碑がある。表から碑の穴をくぐれば悪縁切りの効果があり、すっぱりと縁を切れると言われている。伏見区の戀塚寺は「首切り寺」と呼ばれている。北面の武士・遠藤盛遠は美しい女性・袈裟御前と子供の頃結婚の契を交わしていたが、大人になって再会すると彼女は盛遠の同僚の武士の妻となっていた。袈裟御前は憤慨する盛遠に「夫を殺して下さい」と言い、盛遠は夜中寝所へとしのびこみ、寝ている者の首をはねた。しかしそれは袈裟御前の首だった。袈裟御前は夫の身代わりとなり盛遠との恋を終わらせた。盛遠は出家し袈裟御前を弔った。戀塚寺には袈裟御前の墓「戀塚」がある。
恋の歴史が京都の魅力に繋がっていることは感じていただけましたか?と問われた西川は「そうですね。和歌だったりとか記録に残ってるものだけでも忘れちゃいけないしそういったものの良さというものをもう少し僕らもちゃんと理解したいなぁって気持ちにすごいさせられました」と語った。
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