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「美唄市郷土史料館」 のテレビ露出情報

昭和48年、武井壮は武井家の次男として東京都葛飾区で生まれた。9歳の時に両親が離婚。母とはその後会ってはいない。父も家にほとんど帰らなくなった。そのため自分のルーツを聞く機会はなかったという。武井家の戸籍で辿れる最も古い先祖の名前は、江戸時代後期に生きた高祖父・林茂太。暮らした場所は新潟県越後国中頸城郡の南会所とある。まずは現在の上越市を尋ねる。戸籍にあった南会所は、現在は住宅地になっていた。手がかりを求め上越市立歴史博物館を訪ねると、江戸時代後期の地図が残されていた。江戸時代、先祖が暮らしたのは南会所長屋という長屋。藩士たちの給料の調査をしたときの資料「士族卒禄高取調書」に林茂太が書かれており、高田藩で仕えた武士だった。さらに古い資料に記録が見つかり、切符方先祖書には元文六年(1741年)、300年ほど前の武井壮の先祖の林所右衛門は御椀役と味噌奉行を務めたと書かれている。次の代の茂太夫は、味噌奉行から定番という役職に変わっていた。定番は、高田城内の警備をしたり部隊の一つとして出動していく侍としての本文を果たすことができる身分。その後幕末まで定番を務める侍だった。明治となり侍たちは職を失い、この時代に茂太の三男として生まれたのが武井壮の曽祖父の武。武は幼くして群馬の家に養子に出る。そして22歳の時、武井けさと結婚。以降武井性を名乗る。武井家は代々群馬の安中市松井田町の上増田で暮らしていた。武井家は田畑や山林を所有する農家だった。近くで遠い親戚が見つかり、4代前でつながる林順一さん。武が暮らした場所へ案内してくれた。大正4年、ここで武の三男として生まれたのが武井壮の祖父・新造。地元の小学校で学び、卒業後すぐに一家を支えるため農業に励む。しかし18歳になると三男だったため仕事を求めて家を出ることになり上京。長女でおばにあたる武井美和子さんが聞いた話では、切り子のガラス職人になったという。職場でみ祢という女性と出会う。み祢は向島の切り子細工の一人息子の許婚で東京にでてきたが、新造に一目惚れをして駆け落ちをして北海道に向かった。現在の美唄市清水台に移り住む。史料館で新造に記録が見つかり、三菱美唄炭鉱に就職していた。当時は戦時中で、燃料となる石炭の増産が急がれていた。美和子さんは父・新造についてよく覚えていることは、すごく器用でスキーの板を作ってくれたりマフラーを編んでくれたりしたという。そして昭和21年、2人の間に後に武井壮の父となる3人目の男の子・司が生まれる。
山梨で暮らしていたみ祢の兄が病気で急死し、残された4人の子どもの面倒を見るために一緒に山梨に行ってほしいと新造に懇願。しかし新造たちにも5人の子どもがおり、山梨に行くためには仕事を捨てなくてはならない。昭和27年、新造は妻の思いを受け止め山梨へ行くことを決めた。移り住んだのは現在の山梨県甲州市塩山上萩原。当時新造たちと一緒に暮らしたおいの廣瀬勝治さんに住んでいた場所に案内してもらった。そこは電気もガスも水道もない過酷な土地。ここにあった小さな小屋の8畳一間に13人が住んでいた。手先が器用だった新造は、大家族を養うため鶏小屋を作り、メスのひよこを買ってきて養鶏していた。6歳でここにやってきた武井壮の父・司は、この厳しい環境でたくましく育つ。学校には、山道片道5kmをあるって通った。学校で夢中になったのが野球。当時の野球部の監督に話を聞いた。昭和37年、司は中学を卒業すると集団就職で上京。時代は高度経済成長の真っ只中。司は水道の蛇口を作る工場で働きながら、定時制の高校を卒業。先に上京していた姉の美和子が、美容師として成功し自分の店を持った。そして司に美容師になって自分の店で働かないかと誘った。司に声をかけたのは、オシャレ感覚があったから。司は20歳で都内の美容専門学校に入学。司は、父・新造から手先の器用さを引き継いでいた。卒業後、姉の店で働き、すぐに看板美容師になった。そしてこの頃、武井壮の母となる女性と出会う。
住所: 北海道美唄市西2条南1-2-1
URL: http://www.city.bibai.hokkaido.jp/jyumin/docs/2015111800010/

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年6月7日放送 15:30 - 16:30 TBS
そろえてつくれ!新名物 ごちそうビンゴそろえてつくれ!新名物 ごちそうビンゴ 北海道美唄市
美唄はかつて日本有数のクルミの産地だったが、現在は上村農園1戸だけが栽培を続けている。上村征子さんが作った自家製のクルミのゆべしをごちそうになった。老舗の和菓子店がアレンジし「新くるみ餅」として販売している。

2026年2月27日放送 19:55 - 21:00 テレビ東京
所さんのそこんトコロ!開かずの金庫を開けろ!
北海道美唄市は大正~昭和にかけて炭鉱で栄えた街。かつての名家が住んでいた旧桜井家住宅には第27代総理・浜口雄幸や木戸孝允が書いたとされる書物が残っている。台所などの設備は昭和初期のまま。
北海道美唄市、かつての名家が住んでいた旧桜井家住宅にある開かずの金庫。鍵がなくダイヤルの文字もわからない。柱の隙間にちょうどよく収まっていて、家が建った大正時代から「ここ[…続きを読む]

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