1937年に公開された水戸黄門の映画があり、身分を隠して諸国を漫遊する姿が描かれていた。人助けをしているような描写もある。同作を原作にした講談本でも水戸黄門は諸国を旅していた。だが、江戸時代に発表された光圀の一代記「義公黄門仁徳録」では助さん格さんは登場せず、全国も旅していなかった。光圀と親交があった僧侶の日記を紐解くと、光圀の晩年の行動が記載されているといい、隠居後の光圀は水戸の領内をまわっていた。残された書状によると、光圀は他地域から取り寄せたリンゴや栗を育てるよう指示している。水戸藩は豊穣な土地とは言えず、石高は徳川御三家のなかで最も低い。耕作地が少なかったため、米作り以外の産業育成が急務だった。