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「羽田孜内閣総理大臣(当時)」 のテレビ露出情報

一時は解体論もあった原爆ドーム。広島市が世界遺産登録を目指すことにしたのは被爆50年を前にした1992年。このころ、89年のベルリンの壁や冷戦終結で核軍縮への機運が高まっていた。当時の平岡市長は元新聞記者。被爆者への取材では苦悩を目の当たりにした。世界遺産への推薦の条件は「法律で文化財として保護されていること」だが、原爆ドームは国の史跡に指定されていなかった。文化庁は表向きには「年代として新しい」と史跡指定に難色を示していたが、実際は「アメリカに喧嘩を売りかねない」と及び腰になっていた。
原爆ドームの世界遺産登録に至るまでの内部文書。外務省への情報公開請求で入手したもの。当時行われていたのは米国への政治的配慮。米側は戦後一貫して「原爆投下は戦争を早期に終結させ多くの命を救った」と主張していて、このときは人類史上初の核実験場「トリニティ・サイト」とあわせて世界遺産に推薦することを提案してきた。世界遺産登録の条件「国の史跡指定」に向け、市民らの間で署名活動がスタート。
原爆ドームの世界遺産登録に向け、市民らは署名活動を開始。動きは広島から全国に広がった。徳島で活動した園田トク子さんは団地を一軒一軒まわり、1人で150人分を集めた。夫は戦時中産業奨励館で働いて被爆。トク子さんは知らせを受けて徳島から駆けつけ、夫からの「子どもを頼む」との遺書を渡される。署名は165万筆集まり国会へ届けられた。平岡市長(当時)も羽田総理に直接交渉。米国への配慮から登録に後ろ向きだった外務省も協力的になり、総理も「実現できなければ辞める」という趣旨を発言。羽田自身も戦時中に生まれ、政治家だった父・武嗣郎が「無謀な戦争を止められなかった」と後悔する姿を見てきた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年8月6日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
NHKスペシャル無言の証言者 原爆ドームが背負う“戦争”
1995年、文化庁は原爆ドームを国の史跡に指定。広島市が世界遺産登録に向けて動き出してから3年が経っていた。世界遺産推薦に向け日本政府は米側と交渉。推薦書は特定の国への批判ととられないよう注意を払って作られた。強調したのは「核兵器の惨禍」「平和を訴える存在」ということ。米側からの反応はすぐにはなかった。このころ米国では国立博物館に被爆資料を展示する計画に退役[…続きを読む]

2026年6月2日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
今年の夏も厳しい厚さが予想されるが、注目されるのがクールビズ。都内の店舗ではビジネス用のTシャツの売り上げが6年前から10年前に伸びている。都内の店ではコーディネートとして半袖ジャケットとハーフパンツも勧めている。東京都庁では例年より早くハーフパンツの着用も認められている。

2026年3月4日放送 1:25 - 1:52 NHK総合
NHK地域局発(コネクト)
1992年、原爆ドームの世界遺産化にむけた運動が始まった。世界遺産に登録されるには、法律で保護されることが必要となる。当時は、20世紀の戦争関連遺跡は国の史跡に指定されていなかった。原爆資料館の原田元館長にインタビュー。原田元館長は、6歳のときに被爆した。原爆ドームの史跡指定にむけた署名活動が行われ、130万を超える署名が集まった。羽田孜首相が「原爆ドームを[…続きを読む]

2026年3月1日放送 4:30 - 4:57 NHK総合
コネクト(コネクト)
1992年、原爆ドームの世界遺産化にむけた運動が始まった。世界遺産に登録されるには、法律で保護されることが必要となる。当時は、20世紀の戦争関連遺跡は国の史跡に指定されていなかった。原爆資料館の原田元館長にインタビュー。原田元館長は、6歳のときに被爆した。原爆ドームの史跡指定にむけた署名活動が行われ、130万を超える署名が集まった。羽田孜首相が「原爆ドームを[…続きを読む]

2026年1月29日放送 20:58 - 22:24 テレビ東京
ここ、偉人も来てました(ここ、偉人も来てました)
「ナイルレストラン」(1949年創業)は日本初といわれる本格インド料理店。歌舞伎座の近くにあり、多くの歌舞伎関係者が訪れる。店の奥に進むと十八代目中村勘三郎のモノマネをした神奈月が座っていた。海外公演で大絶賛され、歌舞伎の魅力を世界に示した功労者。第50回紅白歌合戦(1999年)の白組司会を務めるなどテレビでも活躍した。尾上右近の父とは従兄弟。初舞台の機会を[…続きを読む]

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