長嶋は2002年にアテネ五輪を目指す日本代表の監督に選ばれたが、開幕の約5か月前に脳梗塞で倒れた。右半身の麻痺が残り、リハビリのために歩くことを日課とした。現役時代は努力する姿は見せない信念を貫いたが、リハビリに励む姿はあえて公開した。その後も長嶋は野球に関わり続け、野球教室で子どもたちに野球の楽しさを伝えた。WBC日本代表監督として大きなプレッシャーを背負った栗山英樹は、長嶋から「自分の信じた野球をやりなさい」とアドバイスをもらっていた。日本は世界一になり、栗山は試合後の選手たちに20年前に長嶋が掲げた「伝道師たれ」という言葉を伝えた。栗山は、いかにファンが喜んでくれるかという長嶋の思いを伝える責任があると思ったと話した。長嶋は大谷翔平の二刀流についても、当時監督だった栗山に「両方とも才能があると思っているなら自分が信じた道を選手とともに歩むべき」とアドバイスを送っていた。