石破首相は岸田前首相の後任を選ぶ自民党総裁選挙に立候補し、決選投票の末、新たな総裁に選ばれた。5回目の挑戦でようやくつかんだトップの座だった。その僅か3日後、衆議院選挙の日程を表明。総理大臣に就任する前に言及するのは異例だった。初めての所信表明演説では、物価高を上回る賃上げの定着や地方創生、それに防災庁の創設などを掲げた。そして10月9日、国民の信任を得て、政策を推進したいとして、衆議院の解散に打って出る。就任8日後、戦後最短の期間での解散だった。選挙で大きな争点となったのが、政治とカネの問題。石破は収支報告書に不記載があった議員ら12人を公認しないなど、厳格に対応する姿勢を示した。一方、選挙の終盤戦、自民党が非公認とした候補者が代表を務める政党支部にも2000万円が支給されていたことが明らかになる。野党側は、裏の公認料だなどと一斉に批判した。与党への逆風が強まる中、石破首相は政権担当能力をアピールしたが自民、公明両党は215議席と、大きく議席を減らし、過半数を割り込んだ。過半数割れは民主党政権が誕生した15年前の2009年以来。