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「自転車泥棒」 のテレビ露出情報

脚本家の竹山洋は大河ドラマや映画などの脚本を手掛けた。人間への鋭い洞察力と、骨太の構成力で注目された。昭和21年に埼玉県で生まれた竹山さん。海軍の軍人だった父は終戦後に結核を患い、母が苦しい家計を支えた。父は竹山さんが小学生の時に家族を捨て家を出たという。そんな父の記憶と深く結びついているのが一緒に見た映画「自転車泥棒」。第二次世界大戦後の貧困にあえぐイタリア社会を描いたもので盗まれた自転車を取り戻そうと親子が奔走する物語。絶望の中で前向きに生きようとする姿が印象に残ったという。竹山さんはその後早稲田大学で演劇を選考し、ジャズバンドに参加。卒業後にはベーシストとしての道を探ったがその道は厳しいとつてを頼ってテレビの世界に飛び込んだ。演出助手などを経てドラマの脚本家を目指すように。初めて脚本家として名前がでたのは32歳のとき。なりふり構わず、チャンスを掴んだ。
その後徐々に経験を積んでいった竹山さんはドラマ「恋人たちのいた場所」で大きな試練に立ちはだかった。作家になれた作品だったが監督にその内容をみてもらったものの華で笑われたような反応で悔しかったという。そのことで荒れていたが、ある時1つのフレーズが浮かび、書き直して持っていったところ良くなったと言われたという。その名が一躍有名になったのは平成8年放送の大河ドラマ 秀吉。竹中直人さんがエネルギッシュな秀吉を演じた。さらに利家とまつ~加賀百万石物語~ではあるセリフが話題に。またこのドラマで生まれた名台詞は、竹山さんが追い詰められた時に生まれたセリフ。その後も藤沢周平が原作の風の果てでは、この頃脚本が目指すものに変化があったという。脚本は人生の辛酸をを味わった人が書いたほうがいいもの書けると答えた。

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