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「萩本欽一」 のテレビ露出情報

第1回の放送は1979年の大晦日。最初のコンセプトは、自分の体を使って踊り・歌・コントなど「なんかやらかそう」というスタートだったという。記念すべき1番目の作品は「カマキリ」に扮して踊るパフォーマンス。当時から月光仮面やドラキュラなど様々な姿に扮装する人がたくさん。その中で優勝したのは、8本のタバコをふかして煙に見立て人が蒸気機関車に仮想した作品。ただ扮装すふだけでなく何か仕掛けがあるのが面白いのではとなったという。その後様々な仕掛けのある作品が続々登場。1984年優勝作品「ビールのあわ」は、シャンプーでビールの泡を表現。1986年、自らの腕をハムに見立てて見事優勝。見えないものを見えるように表現した伝説の作品は、1985年の「台風」。本当に風があるように見え、このシステムはいまだに使われているという。
過去の優勝100作品の中で、レジェンドスタッフ山本さんが仮装大賞史に残る作品をチョイス。1994年、演技時間1秒の「空き缶」は仮装大賞史に大きなインパクトを残した。2003年の「ピンポン」は、いろんな人が影響を受けて仮装大賞をレベルアップさせてくれたという。今までは面が角度を変えて正面と裏側くらいしかなかったが、上から見る視点を入れた。その後イギリスのペプシのCMに起用されるなど海外でも大きな注目を浴びた。第70回に滋賀県から参加した当時少年の特技はフラフープで、自在なフラフープ姿に会場は爆笑。あれから22年、現在はガス会社に勤務。当時の優勝賞金は、大学入るまでのお金に残しといたという。
レジェンドスタッフ山本さんが個人的に忘れられない名シーンを紹介。第46回の「振り子時計」で、演技中に赤ちゃんが号泣。しかし、振り子のように振られて泣き止んだ。山本さんは「大将のかけあいのおかげでもっといい作品に仕上がった」などとコメント。静岡県から参加した兄弟とその友達の作品「雑草」。踏まれても踏まれても立ち上がる雑草を表現。見事満点を取ったこの作品は優勝。この演技のために友達の誘いも断って夏休みを返上してやってたため、山本さんは泣けちゃったという。3人は後日、念願のハワイ旅行へ行くことができたという。山本さんの大のお気に入りは、2003年の出場作品「ちょうちょ」。このほのぼの作品はユーモア賞を受賞

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月25日放送 7:30 - 10:25 日本テレビ
シューイチ今昔NEWSイッチ
今年の1月に放送100回目を迎えた全日本仮装大賞。視聴者が試行錯誤して作る仮装コンテスト番組が、今SNSを中心に海外でも大人気に。公式YouTubeの動画は累計7億回以上の再生回数。空手道場をモチーフにした作品では、海外からもたくさんのコメントが。そこで、4171作品が放送された仮装大賞を大調査。教えてくれるのは、36年間仮装大賞のディレクターを務めるレジェ[…続きを読む]

2025年5月22日放送 11:50 - 13:50 フジテレビ
ぽかぽか(オープニング)
今回は大切なことは欽ちゃんから学んだ芸能界を生き抜く術全部語りますSP欽ちゃんからの教え芸能界処世術安めぐみ夫への不満。

2025年5月19日放送 9:50 - 11:30 フジテレビ
ノンストップ!行きつけ教えます!
浅草フランス座演芸場東洋館。かつてビートたけしさんがエレベーターボーイとして働いていた伝説の演芸場。この日は毎月開催される寄席「漫才大行進」にナイツが出演。舞台でのネタは毎回最近の時事ネタやニュースを入れるナイツ。今回はプロ野球・ソフトバンクのリチャード内野手が巨人に電撃トレード入団したニュースにちなみリチャードを入れる。本番15分前、番組スタッフがきになっ[…続きを読む]

2025年5月18日放送 15:20 - 16:30 テレビ朝日
路線バスで寄り道の旅徳光和夫一行 小粋なスポットを巡る路線バスの旅
次の目的地へ向かうバスの中でのトーク。東貴博は父親が亡くなってから芸能界入りしたという。自身が高校生の時に2世ブームがあり、ふざけて俳優になろうかなどと言っていたが父親から反対されていたが、父親が亡くなり葬式の時に萩本欽一が「芸能界に興味あるなら僕のところに来る?」と誘ってくれたという。  

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