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「民三さん」 のテレビ露出情報

日本海と白神山地に囲まれた鰺ヶ沢町赤石地区。津軽富士とも言われる岩木山を臨み、麓には白神山地に源流を持つ赤石川。この地区唯一のスーパー「スーパーかさい」。切り盛りするのは2代目店主の葛西姫子さん。魚は自ら捌く。以前は触ることすら出来なかった。昭和35年に両親が創業。朝の5時か6時に店を開けて夜の9時まで365日休みなしだったという。両親の背中をずっと見てきたお母さん。両親は寝ずに働いていたといて、両親の苦労に比べたらまだだと話す。21歳の時、両親の紹介で民三さんと結婚。2人で店を継いだ。大切にしてきた父の言葉は「お客さんがいて店を続けることができている。お客さんに感謝、感謝の気持ちで走って歩け」。しかし人口減少と共に売り上げもダウン。従業員を雇うことができなくなった。なれない料理を必死に覚え、日々失敗を重ねながら培ってきたかさいの味。夫の民三さん、結婚して40年以上ひたむきに頑張るお母さんを見てきた。経営は苦しくても家族で店を守り続ける。
無料で配達も行うお母さん。松山さんは夫に先立たれ、今は広い家にたった一人。歌と踊りが好きで、ストレス解消や寂しくなれば踊るという。天気がいい日はお買い物。自宅から店まで1km程歩く。隣町から嫁いできた松山さん。岩木山はずっと見守ってきてくれた。この場所で自分で作った歌を口ずさむ。松山さんは、スーパーかさいは心の拠り所だという。買い物に来られない人が家でも商品を選べるように、月に2回特売のチラシを配る。季節を感じてもらいたいとタイトルにこだわる。内山さんは、足が悪くなり昔のように店に行くことができない。今はお母さんの配達が頼り。チラシのタイトルを見て面白く感じているという。店にやってきた世永さんは、手押し車でやってきて帰りは送ってもらうという。世永さんはイカ焼きをやっていたころの写真を見せてくれた。小さい店ながらいつも周りを花でいっぱいにしていた。
見せてくれた1冊のノートは、これまでの仕入れ状況を記した日記。イベントごとの反省点や地区で亡くなった人の年齢や日付。自分の世話になった人がなくなった日を覚えておけば、配達に行くときに「これおばあちゃんにあげといて」などとできるという。スーパーはどこまでも頼られる店で、いつでも電気がついて店に来れば何でも買えて話ができて話に花が咲くという感じだという。店が閉まるのは夜7時。この日の夕飯は、店で残ったおにぎりとマグロ。後継者がいないため自分の代で終わりだという。健康ならあと10年だという。地区に暮らす半分以上が高齢者。人口減少と大型スーパーの出店。お客さんは減っていくばかり。しかしこの地区にスーパーはかさいだけ。店を必要とし、来てくれるお客さんのために、朝早くから総菜を作り店が開く頃には売り場をいっぱいにする。40年以上前から始まった2月恒例行事「赤石まっこ市」。日頃の感謝を込めてセールを行う。周りの店がなくなった今でも楽しみにしているお客さんのために、総菜に福袋、野菜の詰め放題などをしている。この日かさいは沢山の笑顔で溢れていた。お母さんは「もうけもなにもあったものじゃない。みんなに喜んでもらえればそれでいい」などと話した。

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