蔦屋重三郎が喜多川歌麿や東洲斎写楽をプロデュースしてきた。蔦重に匹敵する版元がいた。企画展「蔦屋重三郎と版元列伝」が太田記念美術館で開催中。学芸員・赤木美智さんが紹介する。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」をプロデュースした西村屋与八は蔦重と同時期に活躍した版元で老舗版元として3代まで続いた。北斎は勝川春朗の名で役者絵などを描いていた。北斎に風景画を描かせた版元。大判の依頼は期待の表れだった。3代目の勝算はベロ藍。また富士信仰が高まっていた時代だったため注目を集める題材として富士山は最適だった。さらに1818年から1830年にかけて風景画入りの狂歌絵本が人気があったという。狂歌絵本で風景画を楽しむ人が増えた。狂歌絵本の出版に力を入れていたのが蔦重だった。時代の流れを読んだ西村屋は駆け出し時代の広重を見いだした。竹内孫八がヒットさせたのは「東海道五拾三次之内」。竹内孫八は新興版元で、広重を人気絵師にするためだけに版元になったような人物。東海道五拾三次之内は旅ブームを作品にいち早く取り入れ風景の中に日常のひと時を入れ込んだ。広重は新たな版元とともに中山道などを描き風景絵師の地位を築いた。浮世絵を手掛けた版元は詳細が分からない版元を含めると1000を超える。
