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「袴田事件」 のテレビ露出情報

戦時中、浜名湖の辺に暮らしていた袴田ひで子さん。おとなしい末っ子の巌さんが可愛くて仕方なかった。戦争が終わり税務署で働き始めたひで子さんはおしゃれが好きだった。巌さんはボクシングでプロデビューを果たしたが体を壊し引退、地元の味噌会社で住み込みで働き始めた。
1966年6月30日、巌さんが働く味噌会社で専務の一家4人を何者かが殺害。現場に火を放ち逃走した。警察は腕力があり借金や離婚歴がある巌さんをボクサーくずれと呼んで犯人視。巌さんの部屋から見つかったパジャマを犯行時の着衣だとした。1966年8月8月18日に巌さんは逮捕された。取り調べは過酷を極め1日平均12時間を超えた。ついに自白したが、裁判では無罪を主張。獄中から家族に手紙を送った。家族は金を出し合って弁護士を雇い署名活動を行った。
事件から1年2か月、味噌タンクから麻袋に入った5点の衣類が突如発見された。検察はこれまで主張していた犯行時の着衣をパジャマから一転、これらを犯行着衣だとした。巌さんは死刑を宣告された。母親は判決に衝撃を受け病に倒れ、2か月後に亡くなった。ひで子さんは10年以上に渡り無罪を訴え続けたが1980年に死刑が確定。巌さんの精神が崩壊し、拘禁反応と呼ばれる幻覚や妄想が現れ始めた。ひで子さんは孤独な戦いに疲れ果て、徐々にアルコールに依存するようになっていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月27日放送 20:00 - 20:50 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜袴田事件 前編
2004年8月、再審請求は東京高裁で棄却された。しかしこの時、高裁の決定文には「衣類が味噌タンクに1年余りも漬かっていた」と明記されていた。マッチと絆創膏を味噌に漬けた実験の際に白いシャツも一緒に漬けていた。1年2か月後、シャツは変色した。検察が出したシャツは白いまま。山崎さんらは再び味噌漬け実験に挑み始めた。シャツにつける血は鶏の血を使った。知り合いの医師[…続きを読む]

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