1981年、裁判のやり直しの再審を求める戦いを起こした。しかし日本の司法制度において再審は開かずの扉だった。警察・検察の証拠開示の義務はなく、弁護団は無罪の新証拠を出す必要があった。巌さんは死刑執行の恐怖に追い詰められ面会を拒絶するようになった。支援者の山崎さんはひで子さんを連れて面会を続けた。小川弁護士は突然発見された5点の衣類に注目した。多くの矛盾点があり、犯行時に履いていたとされたズボンは巌さんには小さくて履くことができなかった。返り血とされる血液はズボンより下に履いているはずのステテコに多くついていた。5点の衣類のねつ造を自分たちの手で証明し新たな証拠にする。ズボンにはマッチと絆創膏が入ったいたが、長く味噌に漬かっていたならもっと変色しているはず。実験を開始し実際に同じ期間味噌に漬けてみたが、絆創膏もマッチも変色していなかった。新証拠にはならならず、巌さんの拘禁症状はより激しさを増した。