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「西方仁也」 のテレビ露出情報

1972年、札幌オリンピックが行われ、スキージャンプでは日本選手が表彰台を独占。日の丸飛行隊と呼ばれ世界を驚かせた。第2の飛行隊を目指し北海道では次々とジャンプ少年団が結成された。北海道・下川町にジャンパーに憧れた少年がいた。それが小学3年生の葛西紀明だった。経済的に恵まれない家庭で育った葛西は2歳年上の岡部孝信から道具を譲り受けた。少年団コーチの蓑谷省吾は葛西の資質に目を見張ったという。1988年、カルガリーオリンピックの団体戦で日本チームは11位の最下位で明生は地に落ちた。改革を迫られたコーチ陣は原田雅彦など若手を抜擢しチームの活性化を図った。そして天才ジャンパー、マッチ・ニッカネンを目指すべきモデルにした。オリンピック個人金、ワールドカップ総合優勝。2つを制する世界最強ジャンパーをいつか日本から誕生させる。再建プロジェクトの最大の目標となった。そして1人の少年に注目が集まった。大人の大会にテストジャンパーとして参加した中学3年の葛西だった。葛西は美しい前傾姿勢でジャンプし、大会優勝者の記録を超えた。日本代表入りしていた原田雅彦は葛西のテストジャンプに度肝を抜かれた。葛西は代表入りし、原田たちは触発された。日本チームにはもう1つ課題があった。それがヨーロッパの選手がやっていたV字ジャンプ。スキージャンプは飛距離と飛型で点がつけられその合計点で争う。当時、V字の飛型は減点対象。しかし飛距離を大幅に伸ばしニッカネンを破った。原田はそうそうにV字に取り組み始めた。葛西はカッコ悪いとV字が受け入れがたかった。日本は独自にV字の研究をスタート。託されたのは科学委員の渡部和彦。東京大学にある、風洞装置に活路を求めた。人形を設置し1つずつのデータをとっていった。そして38度が1つの基準だということが分かった。小野コーチたちはV字に転校した選手から選ぶと方針を打ち出した。葛西はV字にしないとオリンピックに連れてかないと言われ次の日からV字にチャレンジすることを決めた。葛西たちはラージヒルでの飛距離を10m以上伸ばしていった。そしてリレハンメルオリンピック。総合力を高めた日本チーム。団体戦でなら勝負できる。小野コーチは勝つカギは飛ぶ順番だと考え、エースの葛西は3番手、重圧がかかる4番手には最年長を原田に据えた。1番~3番までは上手く飛べ2位のドイツを引き離した。金メダルを取るには105m飛べば十分だった。しかし原田は97.5mと失敗ジャンプになり金メダルを逃してしまった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年2月4日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
奇跡体験!アンビリバボー長野五輪~奇跡の裏側~
ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが2月6日に開幕する。1998年の長野オリンピックで日本はスキージャンプ・ラージヒル団体で初の金メダルを獲得した。スキージャンプ団体戦は各国4人の選手が2回ずつ飛び、飛距離とジャンプ・着地の美しさの合計点で勝敗を競う。K点を基準に1m毎にポイントが増減される。世界一美しいフォームと評された船木和喜選手、原田雅彦選手、斎藤浩哉[…続きを読む]

2026年1月31日放送 20:00 - 20:55 NHK総合
新プロジェクトX這い上がれ スキージャンプ日本〜世界最強ジャンパー誕生へ〜
1972年、札幌オリンピックが行われ、スキージャンプでは日本選手が表彰台を独占。日の丸飛行隊と呼ばれ世界を驚かせた。第2の飛行隊を目指し北海道では次々とジャンプ少年団が結成された。北海道・下川町にジャンパーに憧れた少年がいた。それが小学3年生の葛西紀明だった。経済的に恵まれない家庭で育った葛西は2歳年上の岡部孝信から道具を譲り受けた。少年団コーチの蓑谷省吾は[…続きを読む]

2026年1月12日放送 21:30 - 21:57 NHK総合
熱談プレイバックスキージャンプ 原田雅彦伝
原田雅彦は有頂天になっていたが弱点もあった。それは踏み込みの影響で3本に1本はタイミングがずれるというものだ。リレハンメルオリンピックの予選では圧倒的な強さを見せていたが、最終盤で原田雅彦がジャンプを失敗し、日本は2位に終わった。

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