震災から3ヶ月、荒木さんは埼玉県の姉のもとに避難していた母のテル子さんを迎えて仮設住宅で暮らし始めた。近くの寺に仮安置されていたいく子さんの遺骨の隣にはテル子さんの弟の遺骨が。弟さんは一度は避難したが家のガスの元栓を締めに戻り津波に飲まれた。1年が経ち、何度か一時帰宅をするうちに荒木さんは故郷の荒れ果てた惨状に弱音を吐くようになった。2012年の3月11日、被災者の追悼式に出席した荒木さんは初めてカメラの前で涙を流し故郷に戻ることができない無念を語った。
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